スープづくりに1日16~22時間

ラーメン屋の出店を決意したものの、ラーメンづくりはまったくの未経験。しかも視力がほとんどない状況でのスタートだ。

「まずは1週間、ラーメン屋のバイトに行ってひたすら野菜を切りました。ただ野菜を切ってるだけなんですけど、そこで匂いを学んだ。鍋の中のスープの匂いがどんなふうに変わっていくかとか、ラーメンのタレが沸いたときの匂いや沸くまでの時間を覚えた」

その後、1ヶ月は店を借りて、毎日スープの研究を繰り返す日々。

「開店までは1日16〜22時間くらいスープと向き合ってひたすら勉強した。何回も味見して、この火力だとどんな沸き方になるかとか、時間で味がどう変わるかとかを確認する。寝る間もほとんどなかったですね」

スタッフにスープづくりの指導をする関根さん
スタッフにスープづくりの指導をする関根さん

「実は、俺と奥さんの誕生日と結婚記念日が7月16日で一緒なんです。店のオープン日もそれに合わせようと思って一生懸命頑張ったんですけど、微妙に間に合わなかった(笑)」

そんなトラブルがありつつも、開店してからは濃厚な豚骨スープの味で一躍人気店に。さらに、関根さんの運動神経を活かした、厨房から替え玉を飛ばす「フライング替え玉」が話題を呼び、テレビなどでも紹介されるようになった。

お店のローンも無事完済。妻に約束した海外旅行と車のプレゼントもした。

しかし、左目の調子は日に日に悪くなる。平衡感覚がわからなくなり、歩くたびに転ぶように。厨房にも立てなくなり、2017年に別の会社に店を譲った。

「せっかく手に入れたお店なのに、悔しかった。でも、リハビリをして絶対に帰ってこようって心に決めて、タネのスープは冷凍保存していました」

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3年間は、障害雇用で会社に勤めながら、目の手術や、レーザー治療を受けた。平衡感覚を掴むため部屋の壁を伝って歩くトレーニングをしたり、文字を読み取る訓練も受けたり、なんとか店に立てるほどまで回復し、店に返り咲いた。

店に立ってはいるものの、今も極限の状態は変わらない。事故の後遺症で身体中が痛く、炎症熱に悩まされることも多い。

そんななか、厨房に立ち続けるのはなぜだろう。

「子どもや家族にお金を残すためですかね。手段がこれしかない。パソコン仕事をやるにしても、パソコンが普及する前に事故にあっているから使い方もわからない。できたとしても月10万円程度しか稼げないから、家族5人を養えない」

「でも、この仕事自体も好きなんです。ラーメンを作るのが好きというよりも、自分にしか伝えられないものを人に伝えていることが楽しいんだと思います。あとは、人が笑った顔が好きなんです。常連のお客さんが、僕が見えるところまで近づいてきておいしかったですって笑顔でいってくれる。そういうのがうれしいんだと思います」

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家族と、お客さんの笑顔のため。関根さんは今日もラーメンを作り続けている。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班