「そろそろ人に喜ばれることをするよ」
事故で右目は失明、左目もほとんど見えない状態になった。さらに膝の骨折や、ヘルニアを発症。一時は、膝を曲げることもできず、歩けなくなるかもしれないと診断された。
ボクシングは失明した時点でもう試合に出ることはできない。それでも、ボクシングができない現実が受け入れられず、その事実を隠して練習に励んだ。
「足が治ったときに復帰できるように、手だけでも鍛えておこうと思って、車椅子でロードワークをしていました」
「車椅子で坂道を登ろうとしたら、お尻が重いから後転しちゃうんですよ。転んでいると、助けようとしてくれる人もいっぱいいたんですけど、当時は必死で。ありがたいけど、人の手は借りないって意地になって練習してました」
現実を受け入れられず、目の治療を拒んで、バイトをしながらトレーニングに励む日々。リハビリで歩けるようにまではなったけれど、目の状態は悪化するばかりだった。
「もう手術しないと無理だよって医者に言われて。このままだと左目の眼球が破裂するって言われて緊急手術をしました」
「病院で、左目の手術が終わって退院するときに先生から障がい者になったことを伝えられた。仕事を続けるのも難しいし、ボクシングは二度とできないって言われたんです」
病院に迎えにきてくれた妻に、「どうだった」と聞かれて、説明しようと口を開くと、涙が止まらなくなった。
「2分くらいかな。なにもしゃべれなくなっちゃって。『ああ、俺ダサいな』って思って」
「それでとっさに『俺、ケンカしたり、殴ったり、そんなことばっかりやってきたし、そろそろ人に喜ばれることをするよ。いま、ラーメンが流行ってるから、ラーメン屋やるわ。手伝ってくれたら好きな車と海外旅行をプレゼントするから』って言ったんです」
ちょうどその日、妻が妊娠していることを知らされる。
「すごい日ですよね。でも、子どもができたって聞いて、この子のためにも前向きにラーメン屋をやらなきゃなって思ったんです。息子は楓って名前なんですけど、店の名前も神様からの授かり物って意味で、楓神にしました」