これまでのアイドル像からかけ離れたキョンキョン人気
続いて、小泉今日子である。小泉は当初、あまたいる82年組アイドル、松田聖子フォロワーの一人にすぎなかった。
彼女が頭角を現すのはデビュー翌年、5枚目のシングル『まっ赤な女の子』のスマッシュヒットによってだ。髪をショートにしてイメージチェンジした。同曲を主題歌にしたドラマ『あんみつ姫』に主演して高視聴率を獲得、注目されてもいる。けれど本格的なブレークは、84年の9枚目のシングル『渚のはいから人魚』のヒットによってだろう。
当時、彼女は事務所に無断で頭髪をカリアゲにして、周囲を慌てさせたという。しかし、この一件がアイドルとしての真価を発揮する第一歩となった。大人の操り人形ではない、独自の主張と行動を実践する。
それは定型的なアイドルの枠をはみ出し、鮮烈でファッショナブルでセンスに満ちていた。女性アイドルとして初めてファッション雑誌「an・an」の表紙を飾りもした。自身を「コイズミ」と呼び、やがて「キョンキョン」と呼ばれ、ついには「KYON2」となる。ポストモダン・ブームの80年代半ば、「KYON2」という記号は時代の先端のアイコンとなってゆく。
それを決定的にしたのが、85年の『なんてったってアイドル』の大ヒットだろう。アイドルがアイドルであることを遊ぶ、メタ・アイドルソングだ。作詞は秋元康。この一曲によって、小泉今日子は80年代アイドルブームの頂点に立った。
その年、私は25歳だった。フリーライターである。サブカル雑誌やアイドル雑誌に原稿を書き飛ばしていた。何の拍子か、そんな私に本の出版の話が舞い込む。あまりにも突然のことだ。
同世代のライターらと3人で1冊の本を作ってほしい。締め切りは……3日後だという。3日後!? 唖然としている間もなく、赤坂プリンスホテルのスイートルームに押し込まれた。
週刊誌ならぬ、週刊本という企画である。毎週、著名人の語り下ろしをザラ紙のペーパーバックで出版していた。予定していた著者がトンズラして、ラインナップに穴があく!? 急遽、出版まわりでワサワサしていた無名の若手ライターの私たちが召集されたという次第である。
なんでもいいから喋ってくれ、と泣きつかれた。さあ、大変。喋った、喋った。喋っては、テープ起こしが届き、赤入れをして、喋っては、テープ起こしが届き、赤入れをする。2泊3日……ではない。0泊3日だ。3日間、一睡もせず。ぶっ倒れそうになった。
それにしても、こんなものが本になるのか? 本にしても大丈夫なのか? あまりにもハチャメチャな若者放談だ。せめて何かこう……本のテーマはないのか?