運命の出逢いと、明菜に現れた小さな変化

ディレクターの島田には、明菜の微妙な変化が気になっていた。

「彼女はいつもこちらが望む以上の結果を出してくれましたが、その集中力はある種の狂気を孕(はら)み、私自身も引き摺られた部分がありました。明菜との仕事で夜も眠れず、胃の痛みで3回救急車に乗っています。中途半端な覚悟でできるものではありませんが、そのうちに彼女のレコーディングでの集中力が落ち始めたのです。納得行くまで何度も挑んできた彼女が、夜が更けてくると段々とソワソワし、『もういいでしょ』みたいな雰囲気が出てくるようになった」

その原因はのちに明らかになる。85年1月に公開された映画「愛・旅立ち」で共演した近藤真彦との秘めた恋が始まっていたのだ。

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映画『愛・旅立ち』〈1985年公開。東宝〉のロケ現場でのオフショット。「週刊明星」1984年12月6日号(集英社)より 撮影/篠原伸佳
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明菜の2年前にデビューした近藤は当時、すでに日本を代表するトップアイドルだった。
近藤のファンであることを公言していた明菜と近藤との共演を実現させたのは、映画プロデューサーの山本又一朗。現在は小栗旬などの俳優を抱える芸能プロ「トライストーン・エンタテイメント」の代表である。

山本が映画製作の経緯を語る。

「私は明菜がデビューする前の『スター誕生!』の頃から注目していました。もともと親交があった研音に彼女の所属が決まってからは、映画の話を折に触れて打診していました。研音側からの了解を貰って、マッチの所属するジャニーズ事務所のメリー喜多川さん(2021年8月14日に逝去)に交渉に行き、最初は『太陽を盗んだ男』を監督した長谷川和彦ことゴジが書いた脚本で企画を進めました。私もゴジも表現者として明菜を評価していましたが、結局、この企画は頓挫し、監督も脚本も替え、再スタートすることになった。それが『愛・旅立ち』という映画です」