雨と涙の豊島園

明菜のデビューからわずか4日後の5月5日。今は閉園となった「豊島園」の野外ステージで、デビュー発表のミニコンサートが開催された。

午前中は晴れていた空に、次第に雲がかかり、午後からは雨がパラつき始めていた。

3,000人が収容できる会場には、続々と観客が押し寄せ、13時半からの開演を待っていた。しかし、周囲のスタッフは気が気ではなかった。デビュー前のイベントでも、明菜が突然姿を消して、探し回ったことがあったからだ。緊張のあまり逃げ出したのではない。

彼女はトイレに隠れ、そこから観客の入り具合をずっと見ながら、まるでタイミングを見計らったかのように客席がざわつき始めた頃に姿を現した。待ち侘(わ)びたスタッフやファンは安堵とともに、一瞬にして彼女に気持ちを掴まれる。あざとさというよりも、奔放で、天真爛漫(てんしんらんまん)な彼女の振る舞いに、まだ慣れていなかったのだ。

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デビューした1982年の『週刊明星』9月23日号の特集では「ツッパリ疑惑」も囁かれた中森明菜。 写真は『週刊明星』昭和59年3月8日号 撮影/亀井重郎
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開演15分前。バックステージにいた明菜のもとに、ブルーのワンピースにピンクの胸当てをあしらった、この日の衣装が届けられると、彼女の表情は一変した。

「こんなの着て唄うなら歌手になりたくない!」

彼女はそう叫んで、泣きじゃくった。開演時間は刻々と迫り、スタッフが必死で説得を試みるが、彼女は頑として譲らない。そこにマネージャーに伴われた明菜の母、千恵子が現れた。

「お客さんだって待ってくれているし、どうしようもないことは耐えなきゃいけないよ」

最初こそ諭すように話していた千恵子だったが、それでも泣き止まない明菜に、終(しま)いには堪忍袋の緒が切れ、こう怒鳴り上げた。「じゃあ、今すぐ辞めろ。一生歌手になるんじゃない」

外まで響く怒声。司会の徳光和夫も、その剣幕に驚き、周囲は2人の母娘喧嘩を固唾を飲んで見守った。そして開演ギリギリ、ようやく明菜は泣き止み、化粧を整えてステージに向かった。