アイドルにおける“結婚”という難題

事件から5か月後、明菜は近藤真彦と同席して〝お詫びと復帰表明〟記者会見を開いた。それは大みそかの夜、紅白歌合戦の放送中にテレビ朝日の終夜討論番組を中断する形で報じられた。

89年12月31日―そう、中森明菜がデビューしてアイドルとして活躍した1980年代の最後の夜であったのは、あまりにも暗示的だ。

だが、「十年遅れの山口百恵の物語」が頓挫した時からこそ、真に「中森明菜の物語」は始まるのであって、死と引き換えにしてさえ完結することのなかった物語が破綻して後、彼女自身が誰のものでもない自らの物語を紡ぎ始めることを表明したその夜(の記者会見)こそが、実は「繰り返された70年代の物語」の真の意味での終わりだったのではなかろうか?(同前)

〈小泉今日子と中森明菜の“アイドル伝説”〉キョンキョンのお尻のぬくもりに触れて今日まで仕事を続けてこれた! 「おたく」の生みの親・中森明夫が語る_2
当時の会見の様子(「週刊明星」1990年1月18・25日号より)

このように総括して、私は明菜にエールを送った。しかし、どうだったろう? その後の彼女の軌跡を見る時、はたして真に「中森明菜の物語」が生きられたと言えるだろうか? 

前章(注釈:『推す力』第二章)で説いた〝芸能界の女王〟の生き方─美空ひばり、山口百恵、松田聖子─頂点に輝いた彼女たちには、明らかな〝結婚〟というアポリア(難題)があった。

そこが男性芸能人とは多少なりとも違う。本来は祝福されるべき〝結婚〟が、女性芸能人にあっては困難や桎梏として立ちはだかるのだ。昭和末の女王・中森明菜にとっても、それは大きな難関だったように思う。

その後の彼女は芸能活動の休止と復活を繰り返した。所属事務所やレコード会社を転々とし、体調不良や仕事面での不調ばかりが醜聞的に報じられる。やがてテレビで見かけなくなり、現状が不明となった。その軌跡はあまりにも痛々しい。ちなみに数多くいた82年組の女性アイドルたちの中で、唯一、中森明菜だけが一度も結婚していない。