アマチュア時代〜デビュー直後のエピソード

①アマチュア時代

大阪でバンドを始めたアマチュア時代。

 まだ学生で、チラシづくりから集客、宣伝まですべて自分たちでやっていました。 そのうえ学業にアルバイトにライブにライブの稽古と、忙しさにかまけて、思えば年間3〜4曲しかつくっていませんでした。

そのくせ、雑誌に出ている新人バンドやテレビで見かける新人アイドルの曲を聴いては、悔しい気持ちを抱えていました。

「俺もこれくらいの曲、真剣にやったら、いつでも書けるわ!」と愚痴ってみたり、世間を批判したりしていました。

②名ばかりのプロ時代

大阪で人気バンドになり、なんとかプロデビューできましたが、売れない時期が続きました。

それでも、曲がりなりにもプロですから、レコーディングでは録音のプロがいて、コンサートではプロの舞台監督がいて、完成したCDをプロモーションするプロがいて……全部、誰かがやってくれました。

宣伝から集客まですべて自分たちでやっていたアマチュア時代と違い、自分の時間を100%使って「売れる曲をつくればいい」という恵まれた状況にもかかわらず、それに気づきませんでした。
そうやってつくれた曲は、ボツを含めてたかだか年間20〜30曲。採用されるのは4、5曲程度だったように思います。

ディレクターやプロデューサーに「これじゃあ、シングルにできないね」「やっぱり才能ないんじゃないか」なんて言われて、「あの程度のスタッフに俺の才能をあやつる能力はないね」 などと愚痴ったり、塞ぎ込んだりするだけ。

そして「お金が足りない〜」「楽器や機材が揃わない〜」「ちゃんとしたスタジオで曲つくらせてくれ〜」「宣伝が下手だから売れない!」「暇や〜」「腹減った〜」「無理〜」「こんなんじゃ、ひらめかない〜」と、人や環境のせいにしていました。

大切なのは「自分は天才じゃない」と認めること。稀代のヒットメーカー・つんく♂が考える「凡人が天才に勝つ方法」とは?_2