インスタントな共感

答えといえば、昨今では極端な成功例、極端なライフスタイルをあたかも汎用性のある正解かのように断言するアカウントが増えている。

彼らの成功を否定はしないが、あくまでもそれは当人が成功した1ケースにすぎず、その経験を無責任に他のユーザーに勧めているだけなのだ。

しかし、すぐ答えが知りたい、近道を知りたいと考える消費者が多いからこそ、そのようなアカウントに需要が高まり、タイパ志向の消費者に刺さる。

便利な情報が簡単に手に入る時代だからこそ、表面的なタイパだけを考えれば、素性の知らない自称インフルエンサーが加工した情報で十分かもしれないが、本来は信憑性や情報の品質、情報の真意など、「一次情報」からしか得られないことも多いはずだ。

しかし、それが汎用性があろうがなかろうが、その投稿者が本当にその領域で専門的な知識を擁していようがいまいが、労力を使わず、何かした気になれたり、何か知った気になれれば十分なのだ。

そこで労力を使わず情報が得られて、かつその情報が何かしらの近道や答えならば、タイパのよさを感じて、そのようなアカウントや情報の出し方が支持されてしまうわけだ。

「早く答えが知りたい」「近道がほしい」…タイパにこだわる人が絶対手に入れることができない「消費すること」で生まれるストーリーとは_2

また、さまざまなSNSの投稿で自身の感想や意見と同じような考えを持っている人がいないかを探し、共感や帰属意識をインスタントに得ようとしたり、違法アップロードの動画に対して「ありがとう」のメッセージとともに自分の意見を共有したり、著名人の訃報の投稿を見つければ、他人のお悔やみのメッセージを読みながら自身もその悲しみに浸る。

私たちは確固たるコミュニティに自身を帰属させなくても、「つながりうること」で生まれる共同性によって帰属心を充足することが可能となった。

日常生活のなかに突如として訪れるスポーツイベントやパーティーなどで瞬発的な盛り上がりを感じることが人々の集団への帰属心の源泉となっており、この瞬発的な盛り上がりを「カーニヴァル化」と呼ぶわけだ。

これほどまでにSNSが普及した社会では、このカーニヴァル化においても実体的な消費や移動、集いを伴わなくても、SNSにおけるインスタントな盛り上がりで、共感したり、感動したり、帰属心さえも充足できてしまう。人々の社会的な充足感すらもタイパの側面から垣間見ることができるのだ。