ネットの文章では「ちゃんと読む」ができない理由
――4月22日に出版された新刊『ちゃんと「読む」ための本 人生がうまくいく231の知的習慣』(PHP研究所)には、文章を「ちゃんと読む」ためのノウハウがぎっしりと詰まっています。なぜ「ちゃんと読む」ことが必要なのでしょうか。
「ちゃんと読む」ことで「書くこと」や「話すこと」が上達し、あらゆる知的活動において役立つからです。
私の考える「ちゃんと読む」とは、書籍や新聞などさまざまな文章を読み込み、内容を理解しながら表現を学び、言葉を扱う力を身につけられるような読み方のこと。多くの文章を読んで「ちゃんと読む」ことを身につけながら、自分が「いい」と思う文章を収集していきます。すると、どんどん表現の幅が増えて思考が深まり、視野も広がっていくのです。
スポーツに例えるなら、「読むこと」は準備運動や基礎練であり、「書くこと」「話すこと」は練習試合や本試合のようなもの。特にビジネスパーソンにはこの基礎練が不可欠だと思います。
長く同じ職場で同じ業務を担当している場合などにいえるのですが、一部の専門領域や組織の中だけで活動しがちになって言葉は広がりません。さまざまな文章を読んで言葉を扱う力を鍛えていくとよいでしょう。
――近年はインターネットを通してさまざまな文章にアクセスできるので、たくさんの文章に触れていると思うのですが、それではダメなのでしょうか。
ネットの文章が一概にダメというわけではありません。ただ、情報過多で、どうしても言葉の扱い方が雑な印象があります。ニュースのコメンテーターのように、いいことを言っているようで中身がない文章も多い。お互いに模倣し合うような文章も散見されるので、多様性があるようでないとも感じます。
よって、ネットの文章を読んでいても、言葉を扱う力がつくとは思えないんです。
また、ネットの記事は不特定多数に向けて書かれ、記事のPV(その記事がアクセスされた回数)やSNSでのいいね・リツイート数など、数値的な評価にさらされています。必ずしも中身がいい記事が多く読まれていて、数値的な評価を得ているとは限りません。
「ちゃんと読む」ことをしながら、自分が「いい」と思う文章を探しているとき、こうした数値的な評価を見ると、自分の「いい」に自信が持てなくなるんですよね。だから「ちゃんと読む」ときには、こうした評価のない紙の本や新聞、雑誌などをじっくりと読むのがおすすめです。