誰のためにタイパを追求するのか?
私たちは、「無駄な時間を削減したい」と思うときと、「過ごしている時間を少しでも長引かせたい」と思うときがある。
東京-大阪間を移動する際、鈍行を使っても、新幹線を使ってもその目的は達成できるが、移動という無駄な時間を省けば省くほど余剰が生まれ、他のことにその時間を使えるようになる。
一方、旅行や休日、好きな人とのデートや睡眠時間に至るまで、自分にとって心地のよい時間に対しては、「この時間がもっと続けばいいのに」と時が進んでいくことを恨む。
社会学者の鈴木謙介は、このような消費に関わる時間のうち、消費者にとって無価値な時間をできる限り減算することで時間の価値を高めることを「減算時間価値」、価値のある時間をできる限り加算することで時間の価値を高めることを「加算時間価値」と呼んでいる。
家事や労働を効率化するタイパや、ある状態になるために行われる「じゃないモノ消費」に対するタイパの追求は減算時間価値の追求で、必要不可欠ではない消費のなかでも「モーメント消費」や精神的充足につながるオタ活などの消費は加算時間価値の追求といえるだろう。
その時間を減らしたいか、増やしたいかというだけの単純な話のはずなのに、精神的価値とあわせて社会的な充足感を追求する私たちは、情報共同体で生きていくために情報強者にもなる必要があり、「じゃないモノ消費」をするために、本来は加算時間価値の対象であるモノについてもタイパを追求してしまうのだ。
残念ながら、手元にいつでも大量の情報を追いかけられるデバイスがあるため、人とつながるための情報を常に貪ることができてしまう。
そのせいで、大事な人と一緒に時間を過ごしているその瞬間にさえ、その人の顔ではなく画面を見つめている。孤独にならないために情報を取得しているはずなのに、その情報を収集するために孤独になっているのである。なんとも非合理的ではないだろうか。
また、タイパやコスパなどによって、効率化や省力化が強く意識されるようになったが、そこで省力されたモノ(時間・お金)は、自分にとっての精神的充足に使われるべきで、決して「じゃないモノ」を消費するために、「じゃないモノ」を効率化することは合理的とはいえないはずだ。
私たちは、その省力されたモノで、最高の瞬間にお金をかけたり、大切な人と過ごす時間を増やしたり、じっくり自分の好きなモノと向き合うために使いたいのではないだろうか。
もちろん前述した通り、人生におけるさまざまなライフイベントや大切な人との時間は、タイパやコスパが悪いように見えるかもしれないし、実際にSNSによってそう考えている人(そう錯覚した人)が多くいるように見えるかもしれない。
しかし、どんなにそれっぽい理由が並べられていても、イニシアティブを持っているのはあなただ。
じっくり恋愛したければすればいいし、一人でいるよりタイパやコスパは悪いかもしれないが、結婚や子育てによってかけがえのない家族や思い出を作ることができる。
結婚式だってたった数時間で終わってしまうかもしれないが、小さいころからの憧れなら、人生をかけてやってみたかった夢が達成できるわけだし、可能な限り自分の理想を追求するべきだと思う。
「その消費って何の役に立つの?」とその消費が生み出すモノ(結果)に対して実益を求めすぎる者もいるが、私たちの消費の中心はどうせ「必要不可欠ではない消費」ばかりだ。
だから、「大学行ってどうするの?」「結婚式を挙げて何の意味があるの?」と他人から消費したことで得られるモノの答えをすぐに求められることを気にしたり、目先の費用対効果や他人の価値観に振り回されることは、「誰のためにタイパを追求するのか」、はたまた「誰のために消費する(生きている)のか」という話そのものなのだ。
自分にとって精神的充足になるならば消費すべきだし、自分にとって大事なイベントや叶えたい夢ならば他人にどう言われようが追求すべきだ。
そのような消費を増やすために、「じゃないモノ」への消費を効率化することこそが、現代消費社会におけるタイパ追求の意義であると筆者は考える。
文/廣瀬 涼 写真/shutterstock
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