高齢者の「かくあるべし思考」と福祉拒否・介護拒否

戦後生まれが増えてきたとはいえ、戦前からの日本の道徳観に染まった人がやたらに多いということは、高齢者を長く見てきた上で痛感させられることです。

前述の「人に迷惑をかけているというような罪悪感」の強さには驚かされます。

職業柄、患者さんに生活保護の受給や介護保険の利用を勧めることが少なくないのですが、「この歳になってお上の厄介になるのは申し訳ない」と言う人が大勢います。

集団生活のようなものが嫌だからというのでデイサービスの利用を嫌がる人も珍しくないのですが、「それではヘルパーさんに来てもらって、散歩や話し相手になってもらっては」と勧めても、「それでは申し訳ない」と辞退される方が多いのです。

消費税が導入されて以来、日本には税金を払っていない人はいなくなりました。

また、それ以上に、現在の高齢者のほとんどと言っていい人たちは、現役時代には十分税金を払ってきた人たちです。

仮に生活保護を受けるにしても、「お上の厄介になる」とか「世の中に迷惑をかける」というわけではなく、払った税金のもとをとるという発想をしてもいいはずです。介護保険にしても、2000年の制度導入以来、ずっと給料や年金から天引きされてきたお金です。使わないとむしろ損なのに、なぜか「申し訳ない」と考える人が少なくないのです。

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高齢者というものは、だんだん衰えていくものです。

子どもの世話にはならない、誰にも迷惑をかけたくないというのなら、公の制度を利用していいはずなのに、それも利用しないというのであれば、生きていけなくなってしまいます。

配偶者が存命のうちは、それでもなんとか老老介護でやっていけるのですが、年齢を考えるとかなりの無理をなさる方が多いというのが実感です。さらにその配偶者が亡くなるとひとりで生きていかなくてはなりません。そこで無理をしてつぶれていくような事態を、私はかなりの数見てきました。

一時期、「老後に2000万円必要」という金融庁の報告書が問題にされました。

年金で足りない金額ということなのでしょうが、家を売るなり、リバースモーゲージなどを使うなりすれば、多くの高齢者はそれをクリアできるはずです。

しかし、子どもに財産を残さなければならないという「かくあるべし思考」や儒教道徳のようなものから、生活を切りつめて、貯金にはげむ人は少なくないようです。

また、年金の範囲内で生活をしないといけないと思い込む高齢者も珍しくありません。

でも、老後の蓄えというように、本来、高齢者の貯金というのは、年金で足りない分を自分が使うためにしておくはずのものです。

万が一病気をしたときや、介護を受けるときに、お上の世話も含めて、迷惑をかけたくないという心理や、やはり子どもに残さないといけないという心理から貯金を使えない高齢者が実に多いのです。それが、2000兆円にものぼる個人金融資産の6割を高齢者が持つといういびつな状態につながっているのでしょう。

誰にも助けを求めず、高齢になっても自立していくという考え方は立派ではありますが、現実には無理のある考え方です。

「かくあるべし思考」の呪縛を逃れて、福祉社会の恩恵を受けることが高齢者の疎外感に対するかなり有効なソリューションになると思うのですが、その道はかなり遠いというのが私の実感です。