『東京ブギウギ』を聞いた作詞家の阿久悠「これはただならない世界だという衝撃を感じた」

笠置シヅ子が歌った『東京ブギウギ』(作詞:鈴木勝/作曲:服部良一)は、1948年1月に発売されて大ヒットする。不幸や不安、苦しみや哀しさをバネとする前向きなエネルギーは、アメリカの黒人音楽から生まれたビートやグルーヴを受け継ぐものだ。

ちなみに作詞家の阿久悠は12歳で初めて『東京ブギウギ』を聴いた時、「これはただならない世界だという衝撃を感じた」という。

「アナーキーさに怯んでしまったのか、エネルギーに圧倒されて立ちすくんだのか、楽天性あきれかえったのか、ブギウギと、うきうきと、ずきずきと、わくわくは、十二歳の少年に、初めてアルコールを飲んだ以上の混乱を与えたのである」(阿久悠『愛すべき名歌たち』より)

底抜けに明るい『東京ブギウギ』が一世を風靡して、笠置シヅ子は『大阪ブギウギ』『買物ブギー』『ジャングル・ブギー』など立て続けにヒットを飛ばす。

【特報】『笠置シヅ子とブギウギの時代』開幕。『笠置シヅ子とブギウギの時代』より

そして日本全国にブギウギ旋風が巻き起こっていた1949年1月。日劇のレビュー『ラブ・パレード』に出演した無名の少女が、『東京ブギウギ』をカヴァーして注目を集めた。

その少女はただちに東横映画『のど自慢狂時代』に抜擢され、ブギウギを歌う少女として映画に初出演を果たす。

さらに同年8月には松竹『踊る竜宮城』に出演し、主題歌の『河童ブギウギ』をコロムビアから発売して11歳でレコードデビュー。“美空ひばり”はまたたく間にスターになっていく。

昭和20年代。笠置シヅ子は「ブギの女王」として戦後ニッポンのエンタテインメントを牽引する、かけがえのない歌い手であった。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP