タオルや衣服を何か月も洗わずに使い回し
●竹中聡子(仮名)の例
父親の実家で、竹中聡子は一人っ子として育った。父親はレストランを3店舗経営していた。母親はあまり頼りにならなかったらしく、聡子の身の回りの世話は祖母がほとんどしていたらしい。
聡子が小学3年生の時、親が不仲によって離婚することになり、母親に引き取られたことによって、聡子の生活は一変した。後に判明するのだが、この母親に発達障害があり、感覚鈍麻の傾向が見られたのである。
母親は臭覚がほとんどないらしく、タオルや衣服の臭いが気にならず、何か月も洗わずに使い回しするのでひどい臭いがしていたそうだ。また、冷蔵庫や鍋の中身が腐っているのに気がつかないことから、それを食べさせられてお腹を壊すこともしばしばだったらしい。
温度に対する感覚鈍麻もあったようで、家にはエアコンが設置されておらず、真冬でも窓を開け放っていた。衣服に関しても同様で、母親は一年中夏服でいて、聡子にもそれを求めた。だが、聡子の方は寒くて耐えられない。それで上着を買ってくれと頼んでも「平気でしょ」と一蹴された。
こうした生活の中でもっとも耐え難かったのが、食事だったらしい。母親は空腹感に乏しく、食事にまったく関心を持っていなかった。毎日、聡子が「お腹が空いた」と訴えてはじめて何かを作るのだが、自分が食べたくないので本当に簡単なもの、たとえば食パンとジャムや、焼いたお餅を出す程度だった。そのせいで聡子は栄養不良で何度か体調を壊したが、それ以上に母親のほうも栄養不良で数えきれないほど倒れていたそうだ。
このころの生活を、聡子はこう話す。
「2人で暮らしはじめた当初は私も小さかったので、お母さんの〝変なところ〟が何なのか具体的に気づくことができませんでした。なんか話がかみ合わないというのは漠然と感じていましたが、それが何なのかはっきりしなかった。
それに、お母さんが栄養不良などでしょっちゅう倒れたりしていて、私がその世話をしていたので、家の環境のことをちゃんと考える余裕がありませんでした。今で言えばヤングケアラーで、その日その日のことで精いっぱいだったんです」