「野球界の大物の移住」
川口氏の決断を知って、地元の新聞はこう書いた。
「故郷鳥取に移住した川口和久さん、人生終盤の「メークドラマ」に挑む」
記事はこう続く。
―—55万人の人口が四七都道府県で最も少ない鳥取県に強力なリリーフが現れた。一九八一〜98年にプロ野球の広島、巨人で投手として活躍し、一三九勝を挙げた川口和久さん(六二)。昨年秋に巨人時代から住む川崎市から妻、三女と一家3人で故郷の鳥取市にUターンし、県から移住のPR大使を委嘱された。(中略)野球解説や雑誌のコラム執筆などは従来通り。東京の会社で働く三女は家でテレワークを続ける。ライフスタイル重視の、今ふうの移住なのである。(読売新聞オンライン、2022年3月21日)
1996年、最大11.5のゲーム差をひっくり返して優勝した長嶋ジャイアンツ。そのときの胴上げ投手でリリーフエースだった川口氏の存在を、長嶋監督の「メークドラマ」という言葉にもじって伝えているタイトルだ。マスコミ的には、それほど大きな「野球界の大物の移住」というニュースだったのだ。
ところが鳥取に戻ると、友人や知人たちはそんな騒ぎとは無関係だった。誰もが「和ちゃん、淳子ちゃん」と呼んでくれる。野球界では「カワ」、「グッチ」と呼ばれていたが、その呼び名よりもはるかに解放された日常がある。
川口夫妻に躊躇なかった。62歳の川口氏は、家族とともに鳥取で第3の人生を謳歌し始めた。
文/神山典士