勉強せずに取った100 点と、死に物狂いで取った100 点には価値の差はない
英語の業界でも、「ぼくが考えたさいきょうの勉強法」のようなものが多すぎます。
とくに、SNS の普及も相まって、「俺が英語をできるようになった方法」とか「私なりのメソッド」みたいなものが氾濫していて、いろんな人がいろんなところで、持論を展開しまくっています。
挙句の果てには、科学的に非効率とされている勉強法でさえ、「これで成績が伸びた!」とサンプル数の少ない意見を宣伝するような人も出てきています。
そもそも、時間と気合でゴリ押しした勉強をして、成果を上げた人にとっては、どんなに非効率な勉強法でも「ぼくが考えたさいきょうの勉強法」になってしまいます。
そして、「自分はこれで成績が上がった」という体験があるから、一切疑うことないどころか、親切心をもって、他の人にも勧めてしまうのです。
オリジナルの勉強法を導き出すプロセス自体が楽しくて、趣味として勉強をすることが好きな人ならば、それでもかまいません。電車があってもマラソンランナーは走ります。
ただ、ここでは「目標達成に役に立つ」勉強に絞って話をしています。そして、そうした勉強の成果は「英語力」や「年収」として、残酷なまでに、数字で示されることになります。
どんなにがんばっていたとしても、勉強のプロセスは、結果には一切反映されません。
ほぼ勉強せずに取った100 点と、死に物狂いで取った100 点には、価値の差はありません。そう考えると、プロセスは「よりラクな方」がいいはずです。
文/岡 健作
#2『社会人の学びなおしで勝ちたいなら“勉強を外注”せよ。人に仕事を任せられない会社は成長しないのと同じ発想がもたらす根拠とは』はこちらから
#3『東大に受かる人の驚くほど普通な才能は「当たり前のことを当たり前にやれる」こと。歯磨きレベルに勉強の習慣を落とし込むテクニックとは』はこちらから