東大などの難関校に受かるような人は“一般的な勉強法”に忠実

勉強の場合、まず外注化するべきことは「勉強法」それ自体です。

勉強法は新たに自分で考えた方法よりも、すでに確立されている方法が効果的な場合が多いのです。

事実、東大などの難関校に受かるような人は、たいてい一般的な勉強法に忠実です。

できる人だからと言って、何か特殊な勉強法をやっているわけではない。勉強法については、長年の蓄積によって、だいたいの最適解が見つかっています。

それなのに多くの人は、自力で「勉強法」の答えを導き出そうとしてしまう。でも、それはいわゆる「車輪の再発明」にすぎないのです。

一方で「がんばって量をこなせば、質も上がっていく」「だから、まずはとにかく量をこなすべきだ」という考えの人もいます。

でも、そもそも自分でがんばって量をこなさなくても、すでに質のいい方法論が、世の中にはたくさん出回っています。

いくらかっこつけて「量をこなせば質が上がる」などと言ってみても、すでに前世代の人が量をこなしてくれたおかげで、もう十分に質は上がっています。あなたひとりがいくら量を増やしても誤差にもなりません。

少し極端ですが、簿記の資格試験の勉強のために、自己流で財務諸表を読もうとしても無理です。その状態で、ただ量をこなしても時間を浪費するだけです。

それよりも、書籍を読んでみたり、試験の過去問を見たりする方が圧倒的に有益です。

政府が5年で1兆円の支援表明をした“リスキリング(学びなおし)” 。“自力で”にこだわりムダな勉強をする社会人「世の中は必要のない勉強であふれている」_3

「自力で」とこだわるのは、人類のこれまでの営みに対する礼を欠いたこと

すでに先人が時間と労力を惜しみなくつぎ込んで導き出した方法があるにもかかわらず、自力で解法を思いつくまでがんばるのは、あまりにもムダが多いのです。

たとえば、「英語の学習の世界」にも方法論はあります。

英語には「第二言語習得研究」という学問分野があります。その分野では、「人はどのようなしくみで外国語を身につけていくのか?」ということを、世界中の優秀な学者が、熱心に労力を投入して、研究しています。

この知見を活用すれば、英語を身につけるのに現段階で最も効率的だと思われている方法がわかります。

ここまで言えば、他の人の成果に頼らずに、すべて自力で勉強することに意味がある、という方はもうほとんどいないのではないでしょうか。

もしそれでも「自力で」とこだわるのは、人類のこれまでの営みに対する礼を欠いたことのように、私には思えます。

どんなことでも、まずは一般的な方法から学んでみましょう。一般的な方法とは、淘汰されずに残った「王道」の勉強法です。

たとえば、TOEIC学習にも、「王道」とされる書籍や問題集があります。

こうしたものが市場で淘汰されずに残っているのは、それが多くの人から認められ、実際に使った人に効果があったからです。

もしかすると「そんなのはただ要領よくやっているだけだ」「オリジナリティがあることに意味があるんだ」と思う人もいるかもしれません。

確かに、「王道」に沿って、それを追従しているだけでは不十分なこともあります。しかし、先人たちが作り上げた「王道」をまずは受け取り、自分でいろいろ試していく中で、受け入れるべき部分や、自分にはフィットしなくて採用しにくい部分に、初めて気づくはずです。

最初は誰かのマネをする。だんだん自然にできるようになってきてから、自分なりのアレンジを加える。それが最も質が高く、ラクな方法です。

もともとの「王道」のエッセンスが血肉になった上で、微調整する。ラクをしたいならまずマネをすることから始めるべきです。