無くならない沖縄への偏見
あの取材から約25年の時が過ぎた2022年9月、糸数裕子さんの訃報に接しました。19歳で対馬丸で遭難してから97歳まで、子供たちを死なせてしまったという罪の意識を背負いながら生きてきた糸数さん。彼女も子供たちと同じように戦争の犠牲者であるはずなのに…。
沖縄では、対馬丸のような悲劇は数多くあります。そんな沖縄に、戦後80年近く経とうとしている現在でも、基地を押し付けています。
そして“ヘイト”とも言えるようなデマすら横行しています。沖縄の基地建設反対運動は、「日本人ではない在日韓国・朝鮮人、中国人らほぼ外国人によって組織的に過激化されている」というような文章がインターネット上で散見されていました。これも、まったくのデマであることは現場を見て来ればすぐに分かります(私は現地に行き、反対運動をしている人たちの話を聞いてきました)。
「沖縄の基地がある土地にはもともと住民はいなかった。基地ができた後に住民らが集まってきた」という売れっ子作家の発言もありました。これなどは、小学生でも少し調べれば嘘であることはわかります。
米軍基地反対運動に対しては、嘘の情報が数多く飛び交い、マスコミの人たち、政治家の中ですら信じている人がいる有様です。過去の悲劇を無かったことにしてしまう風潮に戦慄すら覚えます。
あの日、太平洋上で遠くを見つめながら、絞り出すように「ごめんね」と繰り返し呟いていた元教諭の姿を、マスコミの片隅にいた私は絶対に忘れてはいけないと思っています。
※7月29日に、学童疎開船「対馬丸」の生存者で語り部を続けてきた平良啓子さんが亡くなられた。「戦争は絶対に許されない」と訴え続けてきた平良さんのご冥福をお祈りいたします。
文/宮村浩高 写真/共同通信社