沈没地点での慰霊祭
船上慰霊祭前夜の午後9時すぎ、チャーター船「飛竜」が、遺族や関係者312人を乗せて、那覇新港から一晩かけて沈没現場に向かいます。
そして翌朝、対馬丸が沈んでいる地点に到着。午前8時半から慰霊祭が執り行われました。いよいよ、亡き子供たちとの再会です。
「ヨシ子ー、チャンロー(来たよー)」
「ウサギモン、ムッチチャンロー(供え物を持って来たよ)」
花束やお菓子を大海原に投げ込みながら、大声で子供たちに声をかけます。
糸数さんは甲板にひざまずき、小さな紙袋に入れてきた黒糖などのお菓子をそっと海に投げこみ、「ごめんね」と静かに語りかけていました。たった4か月間だけの教諭だった彼女は、50年以上も子どもたちにその言葉をかけ続けていたのでしょう。戦争の残酷さが滲み出る光景です。
その後、彼女はじっと海を見つめていました。この表情を撮るためにここまで来たんだ、と彼女の横顔を見ながら思いました。
多くの人たちは眼下に沈んでいる対馬丸の方に視線を向けていましたが、糸数さんだけは、なぜか遠くの水平線を見つめ続けていたのでした。
放送へ
大阪に戻り、急いで編集をして、夕方の関西ローカルの報道番組で放送しました。この放送後、系列東京キー局から全国放送で流したいとの連絡がありました。
沖縄でお世話になった方々には、残念ながら関西でしか放送されませんと伝えていましたが、全国放送なら沖縄でも観ていただけると思い、喜んでお受けしました。ところが、ひとつ注文が入ったのです。私の作った映像のラストにはある曲を流していたのですが、メッセージ性が強く、番組にそぐわないので曲を切ってもいいか? という注文でした。
その曲は、沖縄の音楽グループ、ネーネーズ(沖縄の言葉で「お姉さんたち」の意味)が歌う「平和の琉歌」(作詞作曲:桑田佳祐)という曲でした。
♪この国が平和だと 誰が決めたの?
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下 夢もみました
民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに
蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
確かにメッセージ性は強いのですが、そのメッセージこそ私が伝えたかったことなので、それを外すとその意図が薄れてしまいます。とはいえ、沖縄にはすでに放送されるという連絡を入れてしまっていたので、放送を楽しみにしている人たちのことを思うと、注文を受け入れるべきか悩みました。
悩んだ挙句に私が出した結論は、「やはり切らないで欲しい。それが駄目なら放送しなくていい」というものでした。放送するかどうかは、東京のテレビ局の判断になりました。
沖縄の人たちには事情を説明して、放送されるかどうかはわからないと連絡を入れました。そして結果は、曲をカットされることなく放送されたのでした。ほっとした私が沖縄に連絡すると、放送が始まった瞬間、観ていた人たちから一斉に拍手があがったと知らされました。また、歌があってよかったという感想もいただきました。