安全保障より「自尊心」
「重大な挑戦だ」「2度と日本に負けない」「政府が先頭に立つ」――。19年の韓国で、日本による対韓輸出管理の厳格化措置に対抗する反日運動の旗を振ったのは大統領の文在寅自身だった。
米国の反対を押し切ってGSOMIA破棄決定に突っ走った選択は、韓国の安全保障には明らかにマイナスだったが、文の信任が厚い青瓦台国家安保室第2次長、金鉉宗(キム・ヒョンジョン)の記者団への説明には仰天し、常識では測れない韓国政治の恐ろしさを体感した。
金鉉宗は8月15日の文の光復節演説を持ち出して日本をこき下ろした。
「われわれは日本に対話の手を差し伸べ、演説発表前には日本側に内容を知らせたのに、日本側は何の反応も見せず、『ありがとう』の言及すらなかった」「日本の対応は単なる拒否を超え、韓国の『国家的自尊心』を傷つけるほどの無視で一貫するなど外交的欠礼を犯した」――。
その言葉は、自国民の生命や安全を守る安全保障よりも、国家、民族のプライドの方が大事だ、と言わんばかりだった。
「自尊心」を守った韓国政府の決定は国民に支持されると考えたのだろう。確かにこのとき市民団体など反政権勢力が用いた「経済戦争」というワーディングは、韓国の基幹産業である半導体が日本に標的にされた国民の心に突き刺さった。ソウル中心部で展開された反日デモで「NO! 安倍」と書かれた巨大な横断幕が登場したのもこのときだった。
なぜ安倍と文は交われなかったのか。
実は2人は日韓が小泉純一郎、盧武鉉両政権時代にそれぞれ官房長官、秘書室長という最も首脳に近い補佐役の立場で首脳外交の失敗をつぶさに見ていた。
両国内で保守と革新を代表する力のある政治家同士が教訓を生かして手を結べば日韓に新たな時代をつくれるのではないか、「小泉・盧」は必ずしも悪い組み合わせではない。筆者はかつてコラムにこう書いたことがある。
水と油だった安倍政権と文政権
実際にはそうならなかった。文政権発足直後の17年7月、ドイツ・ハンブルクでの初の出会いこそ悪くはなかった。
このとき筆者も文に同行取材したが、首脳会談の冒頭、安倍は「アンニョンハシムニカ」と第一声に韓国語を用いて会場の笑いを誘った。前夜の米大統領、トランプを交えた夕食会でも、安倍と文が相手の腕に手を添え満面の笑みで握手する写真が韓国メディアに載った。安倍周辺が「歴史問題を切り離す文は前大統領の朴槿恵より話しやすい」と語っていたほどだ。
だが、互いに角突き合わせるまでそう時間はかからなかった。
日韓で対立する歴史問題と安全保障や経済などの協力を分離するとした文政権の「ツートラック」政策が破綻したからだ。
「未来のために過去をたださなければならない」とあくまで「過去」の歴史にこだわった文と、「過去を断ち切らなければ未来は訪れない」と考える安倍の信念はまさに水と油で最後まで溶け合わなかった。
何より「北朝鮮」をめぐる2人の対立は決定的だった。
南北融和を最優先する文は北朝鮮指導部を敵視し圧力強化の必要性を訴え続けた安倍を、自らが主導する対北朝鮮政策と米朝対話にブレーキをかける張本人とみなした。
安倍にとっても日本人拉致をはじめとする北朝鮮問題はライフワークだ。2人にとって絶対に譲れない一線が北朝鮮だったのだ。