同調圧力という心理的な「道具」
みんなが確固とした自分の意見を持たず、全体あるいは指導部の意向に合わせて、同じ方向性の考えを抱いて行動すれば、あれこれと議論する手間が省けるので、効率的だ。
そんな風に思う人は、少なくないのではありませんか?
この一見もっともらしい考え方の危険性については、ここでは省きますが、日本の社会は昔も今も、欧米などの民主主義が発達した国と比較すると、社会の中での優先順位として、「個人の自由」よりも「全体の秩序」を上位に置く傾向が強いようです。中学生時代の経験も含め、私は今までに何度も、そんな気分を味わわされてきました。
自由という概念を「わがまま」や「自分勝手」のように曲解し、厳しい校則で制限して「校内の秩序を守る」という教師は、日本の学校では珍しくないはずです。
そして、集団や共同体の秩序を維持するために、さまざまな形で活用されてきたのが、同調圧力という心理的な「道具」でした。
文/山崎雅弘
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