「あなたの経歴で紹介できる会社はありません」からの奮起

しかし、大学を中退して6年間芸人を続けた中北は就職活動などしたことがない。履歴書に記す経歴も職歴もなかった。

「僕には30回以上も転職したという変わった兄がいて、どうすればいいかを相談しながら就職活動をしました。仕事が決まるまでは苦痛でしかなくて、『本当は就職したくない』と言いながら、職探しをしました」

中北が目指したのはコンサルタント会社への就職だった。

「コンサルという言葉がカッコいいと思ったんですよ。人事系のコンサル会社を探して、面接を受けました。転職エージェント会社の人に『あなたの経歴で紹介できるところはありません』と半笑いで言われました。たしかにその通りなんだけど、どうして人生をあきらめさせるようなことを言うんだろうと思いましたね。

何社か受けるうちに、コンサルタント会社の役員が僕を評価してくれて、就職できることになりました。6年間も芸人として活動して、それをあきらめたにもかかわらず、新しいところで頑張ろうという気持ちを買ってくれたんだと思います」

「あなたの経歴で紹介できる会社はありません、と半笑いで言われて…」元芸人・中北朋宏は屈辱をバネに起業、芸人のセカンドキャリアを支援する現在_4
会社員時代の中北(本人写真提供)

しかし、配属された営業の仕事で成果を残すことはできず、営業マンのサポート役に回されることになった。

「営業事務として、見積もりをつくったり、資料を集めたり。そのときには、そういう異動を決めた人を許さない、絶対に見返してやるという思いがありました」

中北はサポート役に徹しながら、静かに爪を研いでいた。

「組織を可視化するツールが開発されたんですけど、営業の人たちはこの商品を売ろうとしなかった。みんなは普段の業務で忙しくて、新しい商品を勉強する余裕がなかったようです。僕には時間があったし、まわりを見返すためには勉強せざるを得ない環境にあった。

だから『僕にやらせてくれませんか』と言って、すべてを任せてもらいました。そうしたら、売上がトップになりました。おかげで、また営業に返り咲くことができました」

そこから中北の快進撃が続く。

「内定者育成から管理職育成まで、ソリューション企画提案に幅広く携わり、最終的には営業マンを教育するトレーニングマネージャーになりました。

就職してすぐにプライドをへし折られましたが、挫折だとは思いませんでした。そうですね、1ミリも。結果さえ出せばいいんだという割り切りがありましたから」