相方ふたりから「俺たちだけでやりたい」
生活費のほとんどはアルバイトで稼ぐ。本業の収入は月に数万円だった。
「ネタが認められる人もいれば、キャラクターやギャグで上がっていく人もいる。僕は、どういう形でもいいから売れたいと思っていました。
3人でいろいろな話をしましたが、ほかのふたりはお笑いに関してそれほど熱心ではなかった。ひとりだけガムシャラで、僕がネタを考え、ふたりに演技指導をする形だったんですが、厳しくやりすぎたんでしょうね。
このままじゃいけないと思い始めたのが2、3年目。5年目にはもうマンネリ化していました。3人の関係が険悪になって、ケンカが増えていきました。『キング・オブ・コント』に出ても2回戦で敗退。このまま続けても……とみんな、思っていたはずです」
ある日、ふたりから「俺たちだけでやりたい」と告げられた。2012年、トリオは解散し、中北は芸人をやめた。
「僕は彼らの2歳上で、当時26歳。ここから30歳までにどうやって売れるかを考えましたが、ゼロからスタートしてできるかと思ったときに『きっぱりとやめよう』と決断しました。
自分なりに6年間積み上げてきたものがすべて崩れたわけですから、悲壮感しかなかったですね」
中北はこのとき、大きなターニングポイントを迎えていた。
「うちの父親が公務員で、仕事が終わったら10分後には帰宅するような毎日を送っていました。子どもの頃は、『夢がないからそんな働き方をするんやろう』と思っていました。
でも、芸人で金を稼ぐことができなかった僕は、社会人として働くのは当たり前、ちゃんと就職しようと考えました。いくら夢を持っていても、食えなければ。だから、勤め人になることに迷いはありませんでした。芸人をやめて父親のすごさが初めてわかりました」