【特別対談】直木賞作家・澤田瞳子と小説すばる新人賞受賞作『楊花の歌』が話題の青波杏。二人が眼差す“歴史小説の可能性”とは。_4

「虐げられてきた」イメージを覆す、意志的に生きた女性たち

――澤田さんも遊廓の話ではないですが、『腐れ梅』では平安期の京都で表向きは巫女で、実は色を売っている綾児という女性を書かれていますよね。彼女が菅原道真の死霊を祭って金儲けをしようとして、思わぬ状況に巻き込まれるという。

澤田 あれはノワールものがやってみたかったんです。実は私の中で『腐れ梅』は超正統歴史小説です。北野天満宮の祭祀が最初は民間の運動として始まり、結局貴族や国家の祭祀として奪い取られ、最初に始めた庶民は排除された、というのは史実として存在していまして。それをなるべく生々しい色づけで書いたものです。

青波 そうだったのですか。登場人物のキャラクターが突き抜けていて、すごく活き活きと描かれているので物語の大きな流れも含めて創作だという印象でした。でも言われてみれば確かに歴史小説ですね。

澤田 ああいう巫女もいたと思うんですよね。あの時代と現代では身体を売ることの概念が全然違うので、私はあえて彼女を全然反省のない、エネルギッシュな人として造形しました。現代の我々が彼女を一種非人道的な人間と見てしまうこと自体がたぶんフィルタリングなので、そのギャップになるべく目を据えて書きました。

【特別対談】直木賞作家・澤田瞳子と小説すばる新人賞受賞作『楊花の歌』が話題の青波杏。二人が眼差す“歴史小説の可能性”とは。_5
『腐れ梅』(集英社文庫) 澤田瞳子
定価825円(10%税込)

青波 近現代のものは女性に関する資料もあるかもしれませんが、もっと時代を遡った社会の女性については記録が少なくなるのではないですか。

澤田 日常的なことですら資料が残っていないので、想像で埋めなくてはいけない部分が多いです。前に『夢も定かに』という奈良時代の女官の小説を書いた時、想像で生理休暇があると書いたら、研究者に「どこに資料があったのか」と言われました。

 ただ、たとえば奈良時代は表の政治的な儀式は男性役人が行いますが、天皇の周囲に侍り、その生の言葉を伝えるのは女官の仕事だったんですよ。貴族たちは夫婦が共に宮廷に仕え、政治を内と外から支えていたんです。そういった女性の立場が案外知られていない。日本の家父長制や男性優位社会は比較的新しいものだというのが最近の研究で明らかになっていますが、日本ではずっと女性は虐げられてきたと思っている方も多いので、それを小説でいかに覆していけるかは考えています。

青波 読者の歴史イメージに対し、実はそうでないというところを書いていくのは、すごく楽しそうです。

澤田 以前だと歴史小説に書かれる女性は、耐え忍ぶイメージが強かった。ただやはり時代が変わってきているので、近年は戦国時代に意志的に生きた女性も描かれるようになりましたね。

小説に込める想い

青波 私はいわゆる歴史小説と言われるものを書くことの責任の重さも感じるんです。私の小説を読んで、想像で書いた部分についても、「こんな数奇な運命をたどった人がいたんですね」と言われてしまったりするので。

澤田 歴史小説で学ぼうとなさる方は一定数いらっしゃるんです。「そうじゃないんだよ」と伝えていくのも、歴史小説の仕事かなと思っています。小説という、とっつきやすい、大きな網で読者さんの関心をつかんで、歴史って面白いでしょう、もっと知ろうと思ったらこういう入門書があるよ、などと紹介していく窓口も私の仕事かなと思っていて。歴史研究と歴史創作はふたつの車輪でありたいですよね。お互いいい影響を与えながら、歴史という共有財産を一般の方々に知っていただければ。でもなかなかうまいことパスがいかないことも多くて、ちょっともどかしく感じているんですけれど。

青波 私が『遊廓のストライキ』を書いた時から感じていることに、研究書のハードルの高さというのがあります。研究書だって実は結構面白いのに、どうやったら読んでもらえるか……。今のお話を伺って、確かに小説で窓口や接点を作るというのはいい方法だと思いました。

――今の時代において時代・歴史小説を書く際、昔の価値観と今の価値観の齟齬を感じることはありますか。

澤田 それは本当にいろいろ考えています。高齢の読者の方も多いので、そこに合わせて書くと昔の価値観で書かざるを得ない。でもおそらく、20年後、50年後にはそうした作品は読まれなくなる気がします。私たちは幸いにしてそうではない価値観を知っているので、であれば、やっぱりそれを受け入れて書いていきたいわけです。そういった葛藤は常にありますね。

青波 なるほど。

澤田 青波さんの作品は、過去に似た作品がないからこそ、読者さんは素直に読まれると思います。のびのび書かれて大丈夫だと思います。

青波 資料が極端に少ないジャンルをやっているアドバンテージがあるかもしれません。遊廓の女性たちの労働に焦点をあてた先行研究があまりないですし。

澤田 ひとつ、あまり本筋ではないことをお伺いしてもよいですか。文体についてですが、青波さんは過去形ではなく、現在形になさるじゃないですか。それはまたどうしてですか?

青波 しっかり意識はしていませんでしたが、クッツェーの小説の、過去のことも現在形で語るような語り口が好きだからかもしれません。あとは単純に、同じ響きの語尾が続くのが感覚的に嫌で、「~た」が続くと違うものを挟みたくなるからかもしれないです。

澤田 私も定期的に現在形を混ぜるんです。過去、過去、現在、時々体言止め(笑)。

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京都で学び、書く暮らし

――おふたりは同世代で、同時期に京都の大学に通い、大学院に進まれていますよね。

青波 私は不真面目な学生だったので修士課程で初めて研究の入り口に立ち、これは面白いとなって京都大学の大学院に移り、今は大学で非常勤の仕事をしています。大学の図書館で学生に紛れて小説を書いたりしています。

澤田 きっと、どこかで繋がっているのではと思います。知り合いの知り合いが知り合い、とか。

青波 そう思います。この前も取材していただいた京都新聞の方と共通の知り合いがいましたし。

澤田 私も今大学で事務の仕事をしているので、アルバイトのカードで大学図書館を使っているんですよ。小説家って周囲が大事にしてくださるんですけれど、それはよくないなと思っていて。私が書きたいのは普通の庶民なので、自分もいろんなことを経験したいんです。大学でいろんな仕事をして、時に嫌な目に遭うことも必要だと思っています。

青波 私は一度仕事を辞めてしばらく廈門に行きましたが、帰国してまた大学で働いています。非正規の仕事だけしていた時は行き詰まっていましたが、小説を書くという別の柱が立ちつつあるので、非常勤をやっているのも悪くないかなと感じています。

澤田 京都は少し前まで結構小説家が暮らしていたんですけれど、引っ越された方がいたりして少なくなって、寂しかったんですよ。青波さんが京都にお住まいで嬉しいです。川越宗一さんにもお引き合わせしたいので、また改めてお誘いしてもよいですか。

青波 ぜひ。どうぞよろしくお願いします。

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