山上被告の実家は今は空き家に…
7月1日、安倍晋三元首相の慰霊碑が奈良市若草山近くにある三笠霊園の一角に設置された。
当初、事件現場に慰霊碑が建てられる予定であったが、「事件を思い出すから」と、住民の反対に遭い、自民党の有志の会によって、私有地に建てられることになった。
筆者が翌日に取材に訪れた際も、花束を持った参拝客が数人訪れており、献花台には多くの花束が手向けられていた。
「設置された翌日には、朝から約200人が訪れてこられました。アメリカから来られた方もいらっしゃいましたね。献花台の花束もすぐにいっぱいになるぐらいです」(三笠霊園の担当者)
「安倍さんのファンですから」と答えた家族連れの男性や、慰霊碑に向かいながら「未だに信じられないんですよね」と、安倍元首相を偲ぶ老夫婦など、それぞれに思いを馳せる姿があった。
山上被告が銃を製造していた奈良市にあるアパートの部屋を訪ねると、今は誰も住んでいないのか反応がなかった。近隣住民に話を聞くことができたが「ワタシ、ナニモワカラナイデス」と、片言の日本語を話すばかりで、山上被告はおろか、事件のことも知らない様子だった。
奈良市にある、山上被告がかつて家族で住んでいた家は、雨戸が閉められ、雑草は放置されたまま、人が住んでいる気配はまったくなかった。既に「山上」の表札は外され、郵便受けには違う名前が記載されていた。
「去年の秋ぐらいかな。引っ越されたのは。それからもう空き家ですよ。今の表札は大家さんの名前ですね。地域で交流がなかったんでね、ほとんど知らないんですよ」
いまだに拘置所には支援者から多くの支援物資や金銭が山上被告に届いており、一部の国民の間では、彼を支持する声が大きくなっている。その一方、すでに“過去”の事件として、風化の一途をたどっていることも事実である。
公判は来年以降に予定されている。
取材・文/松庭直
集英社オンライン編集部ニュース班