銃撃の現場に今も手を合わせる人もいたが…
安倍晋三元首相が銃弾に倒れた近鉄の大和西大寺駅前のロータリーは、車道が整備され、近くには花壇が設置されている。そこには今も花束が手向けられ、時折、手を合わせる人の姿も見受けられる。
「今日は東京から、仕事があったので奈良に立ち寄りました。やはり、1年ですからね。なんであんなことが起こってしまっただろうって不思議な感覚です」(50代男性)
車道の整備もさることながら、近くには芝生が敷かれ、子供たちが遊び回り、若者が集う憩いの場所となっていた。芝生の上で勉強していた10代の女性は「当時はもちろんすごい話題になりましたが、一年っていうことで何かっていうのは特にありませんね。友達の間でも特段、安倍さんのことを話すことはありません」と語った。
横にいた友人も頷いており、奈良市の若者のあいだでは、事件は既に“過去”のものになっているようだった。
「徹也はせいせいしていると思いますよ。今まで、統一教会憎しと思って生きてきたわけやから。今、彼にとってこれまで手にいれたことがない、平和な時間が流れていると思います。ただ、これからどうしていくのか……」
昨年末、そう筆者に話したのは、山上被告の伯父だ。伯父は崩壊した山上家をこれまで何度も援助しており、事件を取材するうえで最も“山上家”を知る人物でもある。
「A子(山上被告の母)にとっては、自身の母親(徹也の祖母)が支柱だった。母親が亡くなって防波堤が崩れたことによって、親父さん(徹也の祖父)との関係もおかしくなり、弟(夫)も死んでしまい、統一教会に走ったんです」(伯父)
A子の夫(徹也の父親)は1984年に自ら命を絶っている。その3年前に、A子は実母を亡くし「精神的支柱を亡くした」と伯父は語った。
そしてA子は、夫が自死した後に、夫の生命保険金の6千万円を統一教会に献金。さらに98年にも、亡くなったA子の父親から相続した土地や家を売り払いさらに約4千万円、合計約1億円を統一教会に献金している(伯父は、2005年から2014年にかけて、約5千万円を教団から取り返している)。