伯父は記者の取材に…
山上被告が事件を起こす前にツイッターで書き込んでいたのは、彼が幼き頃から山上家の境遇に悩み、苦しみ続けたことだった。
〈三人兄弟の内、兄は生後間もなく頭を開く手術を受けた。10歳ごろには手術で片目を失明した。障がい者かと言えば違うが、常に母の心は兄にあった。妹は父親を知らない。オレは努力した。母の為に〉
山上被告には一つ上の兄、そして、4歳下の妹がいる。父は、A子が妹を妊娠中に他界。山上家をさらなる境地に追い込んだのが、兄の病だった。小児癌だったのだ。
母の死、夫の自死、幼子3人の育児に、子どもの病……1人の女性が背負うにはあまりにも過酷な重積だったのだろう。その荷重が増すごとに、A子は統一教会に傾倒していった――。
既に家庭が崩れていくなかで、山上被告はそれに抗うように必死に生きようとした。県内有数の進学校に通っていたが、経済的困窮に陥り大学進学を断念。専門学校に進学した後、2002年に海上自衛隊に入隊した。しかし、2005年、ここで自殺未遂を起こす。その理由は「兄と妹に保険金を渡したかったから」。保険金の受取人を母から兄に変更し、山上被告は懸命に家族を支えようとした。
母を統一教会から奪還するために、自殺未遂後、山上被告はファイナンシャルプランナーなどの資格を取得し、家族を再構築しようとした。だが更なる不幸が襲う。
2015年、兄が自殺――。
「2020年やったかな、コロナが流行する前に、徹也の妹と会って、今後の話をしてたんですよ。貯金額を聞いたら、ゼロやっていうから驚きました。毎月の給料から、家賃やら、食費やら、奨学金も払ってたら、何にも残らへんから、私が奨学金を全部払ったんですよ。『徹也の妹のこと片付けたら、次は徹也や』言うてたら、コロナで徹也に会えなくなってしまったんです。コロナさえなかったら……」(伯父)
困窮する中、懸命に生活を立て直そうとしていた妹。いっぽうの山上被告は、コロナ渦において、さらに孤立を深めていった。伯父と妹が将来の道筋を見つけつつあった2020年当時、山上被告は、派遣会社に登録し、工場で勤務する中で、あの動画を発見してしまったのだ。
〈UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします〉
旧統一教会の始祖である文鮮明氏と妻が設立した関連団体「天宙平和連合」(UPF)に寄せられた安倍晋三元首相のビデオメッセージ。
安倍元首相が褒め称えた相手は、紛れもなく山上被告の“家庭”を崩壊させた敵(カタキ)だったのである。
そして、兄の自死から7年後。2022年7月8日、11時31分、山上被告は凶行に走った。
昨年末、取材に訪れた際に、伯父は、1984年に自死した弟(山上被告の父親)と重ね合わせ、「今後も徹也を懸命に支えていく」と力強く話していた。
「私は、統一教会や、その被害者には興味がない。徹也のためにやっているだけです。刑期はおそらく25年、仮出所で、22年、23年で出てくると思います。私も息子が3人いてますけど、『徹也が出てきたときは頼むからな』と伝えていますし、それをみんな了承してくれています」
事件から一年を目前に、再度、伯父のもとを訪ねたが「もうこれ以上取材に答える必要はありません」と答えるのみだった。