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あのとき離婚していれば・・・・・・母親を追い詰めた夫の自死

母を奪われ、家庭を崩壊させた山上徹也容疑者(42)の“本来の敵”であった旧統一教会は、国会で大きな問題として取り上げられ、被害者救済法案も可決。教団への風当たりはかつてないほど強いものとなっている。
銃を使用し、一人の尊い命を奪った山上容疑者が犯した行為はどのような事情があろうと、到底許されることではないが、世論が、山上容疑者の生育歴に大きな同情を馳せたのも事実である。

〈安倍元首相襲撃事件から約半年〉山上徹也叔父が今だから語る“あの日”の出来事。「兄はろくに治療費も受けられなかった」「家をでた母は妹にゴメンとつぶやいて…」統一教会のせいで家族はバラバラに…_1
山上徹也容疑者
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改めて、山上容疑者とはいったいどういった人物だったのか、山上容疑者を幼少の頃からサポートし、拘置所にいる今も、懸命に支援し続けている父方の伯父(78)に話を聞いた。

「徹也はせいせいしていると思いますよ。今まで、統一教会憎しと思って、生きてきたわけやから。今は、彼にとってこれまで手にいれたことがない、平和な時間が流れていると思います。ただ、これからどうしていくのか……」(伯父)

甥の“これから“を考える伯父に、山上容疑者の幼少の頃の話を聞きたい旨を伝えると、最初はためらいながらも、たばこをくゆらせ、時折、部屋の右上を見ながら、甥との思い出を語りはじめてくれた。

「私のお袋が生きているときは、よく徹也含めてきょうだい3人と駅で待ち合わせて、ご飯を食べて、様子を聞いては、小遣いを渡してたんですよ。当時、私は仕事していて、会えないから、お袋が私の家内に言うわけですよ。『(徹也たちが)困窮してるから、いくらほしい』って……。それを言われるがまま、私がお金を渡していたんです。弟が亡くなった翌年の1985年から、A子(徹也の母)が統一教会にはしった事実を知った1994年まで、ずっと支援していました。しかし、1998年にA子の父親が亡くなり、支援を再開し、2017まで支援を続けました」

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取材に応じる叔父

山上容疑者の父親は1984年に自ら、命を絶っている。その3年前に、A子は実母を亡くし、精神的支柱を失くしたと伯父は推測する。夫を亡くす以前から、A子は既に精神的に不安定になっていたという。山上容疑者の父親は、京都大学工学部を卒業し、大手ゼネコンに勤めたのち、母親の父が経営する建設会社に入社した。

「弟(山上容疑者の父)はA子の父親と性格が合わなかった。それに、弟は苦労していてね、大学院を出て、研究がしたかった。でも、儲け優先の現場には、肌が合わなかったんです。儲け優先の父親の元で働くのは限界だったんですよ。その無理がたたってね。
自殺する1年前に、ここに徹也の一つ上の兄を連れて帰ってきて、私とお袋の前で『離婚したい』って、言いよったんよ。でも私も、弟も、自分たちの母親が離婚して苦労してきたのを知ってたから、『子どもを犠牲にしたらあかん』と言うてね。後から、A子に聞いたら、弟は『俺には帰るとこがない』と言ってたらしいですわ。あのとき、引き取ってやれば、こんなことにならんかったんかなって思うけれど、それも天命やんね」