西ウクライナの支配を巡るポーランド=ソヴィエト戦争

映画はこの三組の家族が同じ屋根の下で暮らし始めてのち、街にソ連兵が入ってきたシーンで、これから何が起こるのかを心配する人々、一方でソ連の国旗を掲げて歓迎の意を示す人がいることが描かれる。背景にはこの地を巡る複雑な歴史がある。

1917年のロシア10月革命の後、ドイツ、オーストリアとの同盟を後ろ盾に、ウクライナ人民共和国はロシア革命政権からの独立を宣言。その後、第一次大戦のドイツ敗戦を契機に、黒海に面した地理的な要衝であるウクライナの支配を巡り、ウクライナ人民共和国の赤軍、ソ連の赤軍、帝政ロシアの白軍、白軍を支援する各国軍、ウクライナの反政府ゲリラ軍などが入り乱れて戦いが繰り広げられた。

最終的にはソ連の赤軍が勝利し、1919年、ソ連邦の一員であるウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国となった。現在のウクライナの西側エリアでは西ウクライナ人民共和国が独立宣言したが、そこへ今度はポーランドが侵攻、ポーランド=ソヴィエト戦争を経て1921年にポーランド領と確定、西ウクライナ人民共和国は滅んだ。

ソ連軍の侵攻でポーランド軍人一家が連行

80年前も現在も、戦争で犠牲になるのは市民…映画『キャロル・オブ・ザ・ベル』が教えてくれるウクライナと周辺国の複雑な歴史_3
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

映画の舞台となるスタニフラヴフは、このポーランド支配地域にあるので、間借人となったウクライナ人一家とポーランド軍人一家との間には始めから緊張関係があり、同じ年頃の娘たち同士を遊ばせることすら躊躇する。

だが、そうした民族的感情を超えて、三組の家族がささやかな交流を持ち始めるのは、父ミハイロ、母ソフィア共に音楽家という一家に育った娘ヤロスラワが歌う「キャロル・オブ・ザ・ベル」が皆の心を解きほぐすから。

だが、ソ連軍の侵攻により間借人のポーランド人一家の夫ヴァツワフが捕らえられ、妻ワンダもまた家までやってきたソ連軍に連行される。そのとき、ウクライナ人のソフィアはとっさにワンダの一人娘テレサを自分の娘だと嘘をついて匿うことになる。