ロシア革命20周年記念映画『戦艦ポチョムキン』はウクライナが舞台だった
毎年、学生に授業で見せる映像のひとつに、ロシア革命20周年記念映画として製作されたセルゲイ・エイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』(1925)の“オデッサの階段”シークエンスがある。
『アンタッチャブル』(1987)など、数多くの映画でオマージュを捧げられたこのシークエンス。艦長・士官たちの理不尽な扱いに憤慨して反乱を起こしたポチョムキン号の水兵たちを熱烈歓迎していた港町オデッサの住人たちが、帝政ロシアの軍隊によって無差別に発砲される様子をモンタージュ技法で描いている。
史実としてどの程度の数の住民たちが殺されたのかについては別として、帝政ロシア(の貴族階級と軍隊)がいかに自分たちの国民を無慈悲に扱ってきたかを描いたことで、ロシア革命の正当性を国内外に訴えるのにこれ以上ないくらいの効果を持った。
そのオデッサ(オデーサ)が、現在の国名で言えばウクライナに属する町であることを、恥ずかしながら今回のロシアによる侵攻まで、ほとんど気にかけたことすらなかった。だが、歴史的に見て、世界で最も広大な国土を持つロシアにとってバルト海、ウラジオストックとともに、黒海沿岸の港の確保が死活問題であることはよく知られる通り。
今回の侵攻で制圧したと伝えられるマリウポリも、その前のクリミア半島併合も、この先にもしかしてウクライナ全土を併合したいという野望がロシア側にあるのだとしたら、その場合のオデーサも、すべては同じ文脈でとらえられることになる。
戦後初めてソ連ロケで作られた西側の映画の名作『ひまわり』
ヴィットリオ・デ・シーカ監督の名作『ひまわり』(1970)は、今回のロシアのウクライナ侵攻を機に日本でもリバイバル上映が行われており、久々に脚光を浴びた。同作は伊・仏・ソ・米合作だが、西側の映画として第二次対戦後、初めてソ連国内でロケした作品として知られている。
第二次大戦中にソ連戦線へ送られたまま行方不明となった夫(マルチェロ・マストロヤンニ)を探し続け、ソ連南部の小さな町に辿り着いた妻役のソフィア・ローレンが、一面のひまわり畑の中に立ち尽くす。このシーンが、今回の侵攻でやはり制圧されたと伝わるヘルソン(クリミア半島の北側)辺りで撮られたことも、リバイバル上映のきっかけとなっている。
筆者は日本ヘラルド映画勤務時代に過去の名作映画のリバイバル担当として『ひまわり』も担当したが、ロケ地までは知らなかった。今回、テレビで流されていた現地映像で、ロシアの若い兵士に「何しに来たの!」と詰め寄ったウクライナの老婦人が、「死んだ後に花が咲くようにポケットにひまわりの種を入れておきなさい!」と言ったのを見た。そうか、ソフィア・ローレンが立ち尽くしたひまわり畑の大地の下に、戦死した多くの兵士たちが眠っているのはそういうことだったのか、とはじめて合点がいった。