カーペンターの立身、残酷描写の終焉
デビュー以来ほとんどの音楽を監督自身が担当。自主映画だったらいざ知らず、耳から入る世界も俺色に染め上げるのがカーペンター・スタイル。自分で使える楽器は限られているからなのか、ほとんどがシンセなんだけど、ミニマルなループのベースラインと通奏低音のコードだけなのにテンションが上がりますが、自身の監督作で初めて第三者に音楽を任せたのが本作『物体X』なのだ。
しかもイタリアの巨匠、エンリオ・モリコーネ。どういう発注が行われたのか、とっても興味深いんだけど、完成した曲はモリコーネがめちゃくちゃカーペンターの曲に寄せて作ってきたように感じますな。モリコーネなのにいつものカーペンター映画らしく、しかもシンセとオケが混在しているのでサウンドは豪華です。
撮影監督はカーペンターとは『ハロウィン』からずっと組んでいるディーン・カンディ。『物体X』以降、カーペンターだけでなくロバート・ゼメキス監督とも組むようになり、作風としては真逆ともいえる『バック・トゥ・ザフューチャー』シリーズ(1985~)や、スピルバーグの『ジュラシック・パーク』(1993)、ロン・ハワードの『アポロ13』(1995)といった1990年代のブロックバスター映画のルック——過剰な情報量をこぼさずまとめ上げながら鋭い光で陰影を刻んで、時代の立役者のひとりになっていくのです。
『遊星からの物体X』は、単なるグロテスクなクリーチャー映画とは一線を画する映画的密度の高い作品だったのですが、当時の高校生としては、異形の怪物へ変形し崩壊する人体という等身大のスペクタクルにまずは大興奮でした。しかし、この映画が商業的に成功しなかった原因のひとつに過度の残酷描写が挙げられ、時を同じくして問題視された青少年向けのレイティングの見直しで、高い完成度の残虐描写は予算のかかった映画では控えられ、残虐な映画は控えめな予算で作られるようになって、ここまで高いクオリティの充実からどんどん離れていき、一部のみんなが期待したような流れは途絶えてしまうのです。