自分は信用していないが
できた作品は信用している
―― 『いい子のあくび』には、表題作のほか、「お供え」「末永い幸せ」と短編が二編収められていますが、やはり自分の中の不穏な気持ちに翻弄される人物が登場します。高瀬さんの「書きたい」を触発するものって何でしょうか。
何でしょう。かっこ悪いんですけど、いつも先の目標や書きたい像がもわっとしていて、定まっていないんです。どちらかというと、今書いているこの作品もどうせ完結せず発表できないだろうな、みたいな気持ちばっかりで(笑)。とにかく書かねばと思っている。書くときのテーマも、多分これかもしれないぐらいの設定しかないので、今日の私はこう思っているけど、どうせ変わるんでしょうと、作者自身、あまり信用していない。ただ、創作って何だろうと考えるときに、書けなかったら書けなかっただし、書き終えたら、その中に書きたかったものがあるのかなと思う。自分はあまり信用していないけど、できた作品のほうは信用しているので、小説に登場するこの子が何か教えてくれるはずと思って書いています。
―― 自分が目標を決めてそこに辿り着こうとするのではなく、登場する人物が導く方向にまかせるわけですね。そういえば高橋源一郎さんも、思い通りにいかない小説のほうが正しい書き方だとおっしゃっていました。
そうなんです。小説には寄り道が大事だと源一郎先生がおっしゃっていて、私も書くときはいつもそれを念頭に置いています。源一郎先生のその言葉を、自分のパソコンのデスクトップの付箋アプリに書いて、小説の執筆中に右上のところにいつも出てくるようにしています。
プロットを立てるのが下手なのもあるんですが、これが書きたい、こう書けるはずだというのは全然信用できなくて、実際に書けたためしがないんです。短編ですらプロットも曖昧なまま書き始めるので、この本の「末永い幸せ」も、結婚式が嫌だなと思う主人公は決めていましたが、仲良しの女友達の結婚式に「私、行かない」と言わせてしまってから、このあとどうするんだろうと思って。それで、どうするの? と彼女に聞いたら、結婚式場のホテルまでは行くというので、そのようにしたんです。
―― 彼女がホテルでどんな行動を取るかは、この話の要なので伏せますが、つまり物語の行き先は登場人物にゆだねている、連れて行ってもらうということですね。
そう思います。結婚式に行かないというのに、いつの間にかホテルに行っていたので、私も「はあー?」と思いました(笑)。登場人物の思いがけない行動に私自身が驚かされることがよくあります。
苦しみやむかつきは
いろんなもので形成されている
―― 高瀬さんは、子供の頃からネガティブな感情に対して敏感な子でしたか?
どちらかといえば暗い子供でした。快活で明るくて元気いっぱいではなかったかなと自分では思います。学校ではみんなと普通に話していても、家に帰って寝る前に、あのときみんな笑っていたけどどうなのかなとか、変な感じだなとか、一人になってから思ったりする子でしたね。
私の作品はよく暗い、救いがないって言われるんです。作品を読んでくれた読者の方から、いつも暗くてつらそうな話だから、主人公に明るい未来が待ってそうな解決策が示される話も読んでみたいという声もありました。でも、むかつきってどうすればなくなるんでしょうか。そんな解決策があるのかなという懐疑心もすごく強くあります。一つの事象に対しての解決策はあるかもしれないけど、苦しみって一個じゃなく、いろんなもので形成されているので、全部を解決するものって私には思いつきません。
―― 『いい子のあくび』にしても『おいしいごはん~』にしても、むかつきの感情がどう発動されるか、非常にうまく表現されていて、読んでいると自分のよくわからない苛立ちの正体が見えてくる。そう感じているのは自分だけではないということで救われる読者は多いと思うのですが。
ありがとうございます。そうであればうれしいです。何かむかつくことがあっても、頑張って持ちこたえてしまう人って多いですよね。身近にもたくさんいます。働いている三十代半ばの同世代の女性には、お子さんがいる方も多い。仕事で何十時間も残業して、限界をとっくに超えてもう無理だと思うのに、栄養ドリンクなんかを飲みながら必死で何とかしちゃっている。でも、私だけが割を食っている、そんなの不公平だよという感情は拭い難くあると思う。私も働いていて、そういう声が身近に聞こえやすいところにいるので、やっぱり書きたくなってしまうんだと思います。
今書いている小説は、女性の苦しさに焦点を当てたものではないのですが、現代日本を舞台にした話であれば、女性を出しただけで何かしらの苦しみや大変さは確実に書かざるを得ないと思う。今後書くものにも、むかつきや苦しさはちょろちょろとしみ出るだろうなとは思っています。