お次は〈ドキドキ〉する本を。
 松井玲奈の『累々』は、全5話からなる連作短編集としても、全5章の長編としても読める小説。第1話「小夜」は、半同棲している男性から「今年中に籍を入れたいと思う」と告げられて心揺らぐ女性を描く。くすぐったくなるようなかわいい話……かと思いきや、悪夢に悩まされる獣医の「僕」とセックスフレンドの情事を描く第2話「パンちゃん」、パパ活女子とのデートをゲームのように行う「私」を描く第3話「ユイ」と読み進めるうちに、読者はどこか落ち着かない気持ちになるだろう。そして第4話、第5話で「そういうことだったのか!」と驚愕。第1話から順に読んでいくことをおすすめします。
 額賀澪『できない男』はお仕事小説であり、農村の町おこし小説であり、大人になりきれない大人の恋愛(未満)小説であり、地方と東京の差異について考える小説でもある。芳野荘介(28歳)は東京から車で2時間の地方都市の小さな広告制作会社で働くデザイナー。学校や行政関係をクライアントに地味な仕事をしているが、ひょんなことから東京の有名デザイン事務所と仕事をすることになる。その事務所のデザイナーが河合裕紀(32歳)。このアラサー男ふたりが、ことごとく「できない男」なのである。「恋人ができない」「青春できない」「現実を直視できない」「覚悟できない」。
 これって、大人の教養小説(ビルドゥングスロマン。主人公が内面的に成長していくプロセスを描く小説)なのですね。荘介は都会の一流事務所と仕事することで成長し、裕紀もまた責任あるプロになっていく。個人的にはラストが大好きです。
 宇山佳佑の『恋に焦がれたブルー』は、横浜を舞台に恋するふたりを描く長編小説。靴職人を目指す高校生の歩橙と、伯母といとこにいじめられる青緒の悲恋。青緒は歩橙を愛すれば愛するほど激しい痛みを感じるという奇病に罹ってしまう。『シンデレラ』をはじめさまざまなメルヘンやファンタジーの要素を感じさせながら、ピュアな恋物語に落とし込んでいくところがすごい。
〈ハラハラ〉する本を2冊。
 香りには不思議な力がある。人をリラックスさせたり、高揚させたり、ロマンチックな気分にも。千早茜の『透明な夜の香り』は、古い洋館を舞台にした、香りと謎の物語。主人公の若宮一香は、あることをきっかけに引きこもっていたが、洋館で働き始める。洋館の主は天才的な調香師の小川朔。人間離れした嗅覚と洞察力を持つ気難しい男だ。朔はごく限られた人にのみ、オリジナルの香水をつくる。
 朔の香水を求めてさまざまな人がやってくる。死んだ夫の体臭を再現してほしいという女性、白杖のグリップに仕込むための香りを所望する盲目の老婦人、いまをときめく有名女優も。朔はその嗅覚で依頼人がいま置かれている状況やその背景事情などをたちまち読み解く。
 ミステリーの要素を持ちながら、本質的には失ったものを回復していく物語、再生の物語なのだと思う。一香が自分の過去と向き合う勇気を持つ後半は感動的だ。第6回渡辺淳一文学賞受賞作。
 堂場瞬一の『ホーム』は野球を題材にした長編小説。デビュー作『8年』の続編。米マイナーリーグのコーチをしている藤原雄大は、東京オリンピックのアメリカ代表監督に就くよう依頼される。シーズンを優先するメジャーリーグは代表チームに選手を送らないから、マイナーリーグの選手だけで構成しなければならない。もちろん目指すは金メダル。この難しい課題に挑むため、雄大は日本の大学野球で活躍する芦田大介に目をつける。サンディエゴ出身の大介は日本とアメリカの二重国籍なのだ。題名の「ホーム」には、野球の本塁やチームの本拠地のほか、家庭や故郷という意味もある。自分にとってのホームはどこなのか、迷いや苦悩を抱えつつ雄大や大介たちは試合に臨む。