インドはむしろ「ヨーロッパ」のようにとらえたほうがいい
さらにインドは、日本のような単一国家とは違い、連邦制を採用する国でもある。各州には、道路、水道、電気といった基礎インフラの構築や教育から、投資環境の整備・規制に至るまで、日本の都道府県ではおよそ考えられないほどの権限が与えられている。
2017年にようやく「物品・サービス税(GST)」が導入されたが、それまでは間接税すら、州ごとに仕組みや税率が違っていた。こうしたことは、とくにビジネスにおいて、しばしば外国企業を困惑させてきた。あちらの州で通じたことが、こちらの州ではまったく通じない、というのはよく聞く話だ。
インドの広さ、文化的多様性、権限の分散状況を念頭におけば、インドはむしろ「ヨーロッパ」のようにとらえたほうがいいかもしれない。ドイツ人とフランス人、スペイン人、イタリア人が同居しているような国なのだ。
「インドの投資環境はどうですか?」とか、「インド人というのはどういう人たちですか?」といった質問を、筆者もよくビジネス関係者から受ける。そのたびに、「そういう発想自体をやめたほうがいいですよ」と答えることにしている。
インドを一枚岩の国、ひとびととしてみないほうがよい。モディBJP政権が、イデオロギー的にそうした国を目指しているのは事実だが、それでもインドの多様性が消滅したわけではない。
2050年の世界では、日本のGDPはインドの4分の1未満
実際のところ、モディが長年州首相を務め、その後もBJPの牙城となっているグジャラート州と、かつて左翼勢力が支配し、その後は地域政党の草の根会議派が政権を握る西ベンガル州では、食文化、インフラ事情、法制度まで、同じ国とは思えないほどの違いがある。
グジャラート州は「停電のない州」として知られ、インフラは整っているが、禁酒(ドライ)州だし、ベジタリアン(菜食主義者)が圧倒的に多い。西ベンガル州に行くと、公共交通インフラなどの整備はまだまだだが、酒はオンラインでも買えるし、魚は多くのひとびとが口にし、牛肉さえ提供するレストランもある。この2州で、同じビジネスモデルが通用するはずがない。インド全土となると、当然のことながら、もっと違いは大きい。
インドへの進出を図ろうとするときには、この現実を認識したうえで、いかに利益を上げるかを考えることが必要となる。まずは、受け入れられやすい地域と分野を絞るということになるかもしれない。
それでも、その積み重ねの結果として、すべての分野でないとしても、いくつか特定の分野では、日本がインドにとって唯一無二の存在、不可欠な存在とされる状況を創出できる可能性がある。インドがサプライチェーンの脱中国化を図ろうとしているいま、われわれにも食い込むチャンスは十分にある。
2050年の世界では、日本のGDPはインドの4分の1にも満たなくなっているかもしれない。そうなったときには、インドと日本の交渉力は大きく変わってしまっているだろう。もはや、相手にされなくなっている恐れもある。
総合的な国力では衰退に向かうことが避けられない日本にとっては、中長期的観点から、いまのうちにインドが日本を必要としつづける関係を、企業も国家も築いておくことが求められる。