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「そのうち帰ってくるよー」

今回のパトロナス行きは、実際の撮影の前にロケハンを兼ねて行くことにしていた。なぜなら、先ほども書いたように、ベラクルス州は当時かなり治安が悪くなっており、安全に取材ができるかどうかを確かめる必要があったのだ。そしてなによりも、実際に撮影に入る前にパトロナスの人々と信頼関係を築くこと、これが一番大切だった。そのために、ぼくは信頼するドライバーのマヌエルと妻と一緒に、パトロナスのところに向かった。

自然に囲まれた風景を抜けると、一本の線路が走っていた。ぼくらは、聞いた住所をもとに地元の人に場所を聞きながら車を走らせていた。コルドバの大きな街を抜けると、そこから先は田舎道で、先になにがあるのかわからない気味悪さがあった。周り一面にはサトウキビ畑が広がっており、天然のザワワが聞こえていた。

「移民だから助けたわけじゃない」メキシコ全土に名を轟かせるパトロナスが、移民に手を差しのべる“ただひとつのシンプルな理由”_1
撮影/嘉山正太
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そして、線路を何本か越えると、1つの建物が見えてきた。建物に大きく、〝LAS PATRONAS〞と書かれており、そこにはメキシコの聖母・グアダルーペの画も描かれていた。

ここか。メキシコシティから、約4時間半。やっと到着したその場所は、どこにでもありそうな田舎の家だった。ここがメキシコ全土に名を轟かせる、パトロナスの本拠地か。

ぼくらは恐る恐る扉を開けて入る。大きな空き地を抜けると奥の方に、母屋がある。中に入ると、むき出しの地面に大きな机が置いてあり、台所では2人の年配の女性が食事をつくっていた。机には男性が1人、うだる暑さで参っているかのように、突っ伏していた。

なんだか、安宿みたいな雰囲気の場所だな。ぼくは海外旅行をしていたときによく利用した安宿の光景を思い出していた。

「あの、すいません! 代表のノルマさんいますか?」
台所で料理をつくっていたおばちゃんが、笑顔でこちらに向かってくる。
「あんたたち、どっから来たの?」
そのおばちゃんは、恥ずかしそうに俯きながらぼくに話しかけた。ニコニコと満面の笑みで。
「えーっと、日本のテレビで、今日は取材で来たんですけど……」
「電話した?」と言って、彼女は、おもむろに予定表を奥から取り出してチェックしはじめた。
「ああ、あんたたちね。いまノルマはいないんだ。ゆっくりしてってね」
「え? いない? ノルマさん、いないんですか? いつ帰ってくるんですか?」
「そのうち帰ってくるよー」と彼女は鍋をかき混ぜながら答えた。

そこには、都会のメキシコシティとはまったく違う、穏やかな時間が流れていた。の、のどかだ……なんだ、ここは。とある農村。天気は快晴。正午少し前の穏やかな風が、中庭に吹いている。

台所には、2人のセニョーラがいて、お昼ご飯をつくっている。この匂いは、唐辛子とトマトのソース。メキシコの煮込み料理・ティンガかな。庭にはグアバの木が生えていて、南国の匂いを出している。机に座った男の人は、ボーッとしたまま、空を眺めている。気づけば、ぼくらも、テーブルに座って、空を一緒に眺めはじめていた。妻は、セニョーラの近くに行って、楽しそうに話していた。

メキシコの田舎の風景が、そこにはあった。古き良き時代のメキシコ。誰も焦ることもなく、そして、のんびりと暮らす。その空気が、このパトロナスに来たときの第一印象だった。