8000メートル峰とはどのような世界なのか?
私が栗城さんの取材を始めた理由は、登山の過程を詳細にカメラで撮る「新しさ」と、「マグロが理想」など放つ言葉の意外性に惹かれたからだが、もう一つ、「この人なら、『登山家のすごさ』を私のような素人にもわかりやすく伝えてくれるのではないか?」と期待したからでもあった。
登山家のすごさは一般の人にはわかりづらい。体力、スタミナ、精神力、状況判断……様々な要素を兼ね備えて初めて8000メートル峰の頂に立てるのだろうと推測はするのだが、私はそれをできるだけ具体的に、可視化して、視聴者に伝えたかった。
「滝に打たれたい」と言い出した栗城さんに同行したことがある。2008年8月だった。栗城さんは少し前までエベレスト遠征を公言していたのだが、8000メートル峰での経験がまだ足りないと考え直し、直近の目標をネパールのマナスル(8163メートル・世界8位)に変更していた。
滝は小樽の山の中にあった。深い山ではないが、水量はかなりのものだ。修験者のように合掌して、落ちてくる水を跳ね返している栗城さんを見て、私もやってみたくなった。パンツ一丁になり、彼の隣に立った。
瞬間、前につんのめった。何とか堪えたが、今度は後ろに尻もちをつきそうになる。足元はコケで滑るし、水は容赦なく頭を叩く。しかも、その強さも向きも一定ではない。私は中腰の情けない姿勢のまま耐え続けた。栗城さんのように直立不動ではいられなかった。やはり腰が強く体幹もしっかりしているのだろう。
登攀の「攀じる」という言葉が表す通り、登山家は手と足だけではなく、全身を岩や雪の壁にこすりつけるようにして攀じ登っていく。センスとバランス感覚、ヒマラヤのような高所になれば高度順応力というハードルも加わるはずだ。
8000メートル峰とはどのような世界なのか? 栗城さんはこう言った。
「標高7500メートルを超えると酸素の量は地上の3分の1しかありません。『デス・ゾーン(死の領域)』と呼ばれる世界です。そこにずっといたら死ぬわけですから、そりゃあ苦しいです」
「そのデス・ゾーンを乗り切るために、どんなトレーニングを積むんですか?」
「時間があれば、心肺を強くするゴムのマスクをしてジムで走ったりしますけど、日本にいるときは営業で忙しいし、実際に山を経験しながら強くなるしかないですね」
「『登山家のすごさ』をテレビでどう表現すればいいですかね?」
私のストレートな質問に、栗城さんが少しムッとした表情になった。《ボクが撮った映像だけでは弱いのか?》と機嫌を損ねたのかもしれない。
「何ならエベレストのベースキャンプで、朝青龍(当時の横綱)と相撲でも取りましょう
か?」
反発から出たであろうジョークは、彼の企画力の片鱗をうかがわせた。《それ、面白い!》と私の脳に刺激が走った。横綱が苦しそうに登る姿や、それを励ましたりニヤリとしたりする栗城さんの顔が浮かんできた。
《でも、もし朝青龍がベースキャンプまでたどり着いて、がっぷり四つに組んだとしたら
……》
私はうっかり言葉を返してしまった。
「本当に勝てますか?」
栗城さんは「ここ、笑うとこですよ」と苦笑した。私は素直に謝った。