二度目の総裁選、昭恵は「一緒に頑張ろう」
昭恵に「やめた方がいいのでは」と言われて、安倍は敢然と言った。
「いま日本は、国家として溶けつつある。尖閣諸島問題にしても、北方領土問題にしても、政治家としてこのまま黙って見過ごしておくわけにはいかない。俺は、出るよ。もし今回失敗しても、俺はまた次の総裁選に出馬するよ。また負ければ、また次に挑戦するよ。俺は、自分の名誉や体のことなんて構っていられない。国のために、俺は戦い続けるよ」
これほどの覚悟をもって挑もうとしていたのである。
これを聞いて、昭恵は「一緒に頑張ろう」と決意した。
もし森の言うことを聞いて、福田康夫の後に総理になっていたら、一年で辞めることにはならなかったかもしれない。しかしそうなったら歴代最長となる第二次政権はなかったかもしれない。第二次政権の時も、果たして待望論が生まれたかどうか。
安倍は自身の手で、チャンスをつかみ取ったのだ。
妻であり、愛人であり、看護婦だった
第一次政権も第二次政権も、安倍は潰瘍性大腸炎が原因で辞任に至った。十代の頃に罹患した病気で、一時期は病気を克服できたと思い総理に就任したが、激務もあって悪化してしまった。
平成19(2007)年7月の参院選に負けて、8月のインド外遊でウイルス性腸炎にかかり、これで、病気が一気に悪化。下痢がひどくなり、1日に20回から30回もトイレに行かなければいけない状態になってしまった。これではとても総理大臣は務まらない……そう考えて辞任を決断した。
その後、認可されたアサコールという薬で劇的に回復し、持病をコントロールできていたものの、令和2(2020)年に再発し、やはり難しいと辞任……。
話で聞いているだけでは「大変だな」くらいだろうが、実際には地獄である。そして、患者である安倍に一番近くで真摯にそのつど対応したのは、他ならぬ妻の昭恵だ。
つまり、昭恵はある意味で妻であり、時に刺激的であるが楽しませてくれる愛人であり、そのうえ病身を献身的に支える看護婦的な存在でもあったのだ。