「健康さえよければ、(海部内閣から)安倍内閣に代えます」
晋太郎は、「ああ、やはり、そうか……」と思いのほか冷静に受け止め、取り乱すことはなかった。そして、最後まで諦めなかった。
病室には、清和会の幹部たちが次々に見舞いに訪れた。清和会四天王の一人、加藤六月は「健康さえよければ、(海部内閣から)安倍内閣に代えますから。みんな、そう思っていますから」と言って晋太郎を励ました。
晋太郎の盟友で、党内最大派閥を率いる竹下登も間違いなく推してくれる。そもそも、竹下が総理を退任したあと、宇野宗佑や海部俊樹を後継総裁に据えたのも、晋太郎が総裁になるまで年代を若返らせないことが目的であった。
しかし晋太郎は、ひどく無念そうに答えた。
「いや、俺はまだ、健康に自信が持てないよ……」
「森くん、安倍ちゃんのために、できるだけのことはしてやれよ」
その年の4月、ゴルバチョフが来日することになった。前年1月15日、自民党代表団の団長としてソ連を訪問し、ゴルバチョフと会談した晋太郎は、「ぜひ桜の花の咲くころにいらしていただきたい」と約束を取りつけ、積極的に訪日の道を開いてきた。歓迎レセプションの委員長も引き受けており、ゴルバチョフと日本で会うことを楽しみにしていた。
衆議院議院運営委員長の森喜朗は、「この路線を敷いたのは安倍さんなのに、その安倍さんがゴルバチョフに会えないなんて、そんな馬鹿な話はない」と唇を噛んでいた。
そう思っていたところ、森は竹下に呼ばれた。 「森くん、安倍ちゃんのために、できるだけのことはしてやれよ。あとは、俺が責任を持つから」
森は、洋子に電話を入れた。
「安倍さんをゴルバチョフに会わせたいのですが、体調はどうですか」
「森先生、できれば安倍とゴルバチョフを会わせる方法を考えてやってほしい」
洋子は、丁重に断った。
「お気持ちは嬉しいですが、ちょっと無理のようです。ご心配なさいませんように」 それからしばらくして、晋太郎の上席秘書の清水二三夫から、森に電話がかかってきた。
「森先生、できれば安倍とゴルバチョフを会わせる方法を考えてやってほしい」 森は「いよいよ体調が悪いな」と察し、竹下と相談した。
「きみは、議運の委員長だ。だから、衆議院議長の桜内(義雄)さんが議長公邸での午餐会にゴルバチョフを招待するかたちにし、その席に各党の党首、各派の会長たちを招いたらどうだ」
竹下がそう提案した。
だが、森はそれに反対する。