北島三郎の演歌に、モスクワっ子たちは酔った
昭恵は、晋太郎の秘書の奥田斉からこう言われた。 「これから下関市民になるのだから、地元伝統の踊りを習ったほうがいいでしょう。モスクワで代表として踊ったら、皆さんから評価していただけるよ」
昭恵はすぐに踊りの指導を受け、必死になって練習した。 赤の広場での本番当日、中曽根派(政策科学研究所)に所属しながらも、「晋太郎を総理に」と情熱を燃やしていた山口敏夫も参加していた。山口は会場の入口で、自前で買ってきたチョコレートを通行人に配っていた。
山口は、昭恵に茶目っ気たっぷりに言った。 「ソ連の人たちを、たくさん呼んでおいたからね」 赤の広場には、なんと四十万人もの人々が詰めかけた。日本の花火に見入り、北島三郎の演歌に、モスクワっ子たちは酔った。
ソ連の国営テレビでも連日、日本文化週間の模様が放映され、これまでソ連を目の敵にしてきた日本人との、まったく新たな文化交流が繰り広げられた。 昭恵は高まる緊張感のなかで、見事に平家踊りを踊り切った。
10月6日、ソ連外務省から「二島返還」を示唆するメッセージ
9月30日、晋三はソ連から帰国するや、その足で順天堂医院に父親を訪ね、父親にモスクワでの大イベントの成功について報告した。晋太郎は、自分が行けなかったことを、改めてひどく残念がっていた。
10月6日、ソ連外務省から「二島返還」を示唆するメッセージが伝達された。そして11月30日、晋太郎は順天堂医院を退院した。
しかし、平成3(1991)年1月19日、晋太郎は、順天堂医院に三度目の入院をする。病状はひどく厳しい。晋太郎は外務大臣、幹事長などの要職を歴任し、清和会を率いている。責任ある政治家として、今後のことも考えておかなければならない。
晋三は、心を鬼にして父親にこう告げた。
「お父さん、癌です」