ロックが死なない限り、ギターヒーローは現れる
かつてはギターのサウンドを売りにするバンドが多かったが、現在はほかの楽器とのアンサンブルを重視したバンドが主流になっている。ギタリスト個人で目立つというよりは、バンドのなかでどんな役割を果たせるのか、という流れに集約していると言えよう。
そう考えると、『ぼっち・ざ・ろっく!』も現在のロックバンドの事情を踏まえた作品、音楽づくりになっている点で上手く時流に合わせた作品として評価できるだろう。
しかも現代のギタリストの技術は低くなるどころか、むしろどんどん高まっていると南田氏は分析する。
「正直、今のバンドは耳コピ(楽譜ではなく音源を聞いて楽曲をコピー、演奏すること)がしづらく、複雑で難易度の高いフレーズを作っています。やはり技術力の高いバンドじゃないと生き残っていけない実力社会ですし、フェスだと自分たちの箱ではないアウェーの地でライブすることになるので、必然的にテクニックの高いバンドが求められるんです。フェスの観客は気まぐれですし、そっぽ向かれないようにバンドは相当研鑽を積んでいますね」
往年の名ギタリストたちとは別の形で今のギタリストたちはプレイスタイルを確立し、ファンの支持を集めているということか。
最後に南田氏は人々が望む限り、ファンが憧れるギタリストは現れると語ってくれた。
「ロックは昔も今も社会的不適合者の集い、アウトサイダーたちの拠りどころという側面があります。社会のしきたりや押しつけに不自由さを感じて、『自分にはロックしかない』と考え、反権力や反常識をメッセージに込めます。
かつてはそれが不良性と密接に結びついていましたが、現在は、そうした大きな社会への反抗よりも、身近な社会での繊細な違和感、たとえば学校のいじめや、個人的なトラウマなど、この社会にうまく歩調を合わせられない自分像をベースにした“弱者の反撃”が期待されていると言えます。
『ぼっち・ざ・ろっく!』はまさにそれなんですよね。『陰キャならロックをやれ!』というキャッチコピーがありますが、社会的に立場の弱い人がロックを選択し続ける限りロックは死にません。その共感のネットワークがある限りは、それぞれのバンドのギタリストがそれぞれのファンにとっての“ギターヒーロー”になることにいささかの変化もないでしょう」
取材・文/文月/A4studio