M-1、キングオブコント、R-1…
賞レース誕生前に抱いたアイデアとは

またボクシングが好きという文脈から、コメディアンもそれぞれのネタで正々堂々同じ条件で勝負して日本一をハッキリさせてはどうかという提言もしている。

芸の内容によって適した時間があり、それを統一するのが難しい(漫才は15分、漫談は10分、コントは7-8分あたりが適性)、客層も若者にするのか年配の人にするのか、大喜利で勝負する手もあるかもなど悶々と悩んでいた。

これが書かれたのが1994年。その後、2001年にM-1グランプリが開始して以後、キングオブコント、R-1グランプリ等、ジャンル毎に分かれた賞レースが次々に開かれ、大喜利という意味では2009年からIPPONグランプリが放送されている。最近も話題になったようにその多くに大なり小なり松本人志は関わっている。

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『遺書』からアップデートされた松本人志の「この先」

さて、出版から30年近く経って初めて読んでみた『遺書』。

内容には、今ならたぶん炎上するだろうなというものも多く含んでいるし、今となっては松本人志自身が変心してしまったものもたくさんある。

結婚や子供を持つことについて極めて否定的だったが、実際はその後よきパパとなり時折家族の話もテレビでする機会もある。お笑い一本でやっていくと言っていたが、歌も出したしドラマにも出たし映画も撮った。

しかしそういったことを後から意地悪に答え合わせしてあげつらうことはあまり意味がない。

私としては、当時の彼の「天才の自分が、お笑いの世界に革命を起こしてやる」と本気で考えている勢いや「その凄さをなかなか世間が真の意味で理解してくれない」という焦りが素直に感じられ、とても面白かった。

松本は「あとがたり」において、お笑いの性質上、どうしても芸能生命は短くなり、40歳がピークであとは引退するしかないだろう、そういう意味でタイトルを『遺書』にしたと語っている。

しかし還暦60歳を迎える今年。いまだ松本人志の限界は見えない。
多くの賞レースで「お笑い」の基準であり続け、『水曜日のダウンタウン』(TBS系列)など時代を象徴するバラエティに起用され、『まつもtoなかい』(フジテレビ系列)のような社運をかけるような番組を任されている。

松本の『遺書』が執行される日はまだまだ先のようである。

文/前川ヤスタカ イラスト/Rica 編集協力/萩原圭太