宮崎駿はなぜ”風防”にこだわったのか
『風立ちぬ』は堀越二郎を主人公にしているのに、零戦がほとんど出てきません。おかしいですよね。堀越二郎は零戦の設計者として何より有名で、『風立ちぬ』を紹介する際にも、主人公は零戦の設計者だと紹介される、にもかかわらずです。『腰ぬけ愛国談義』でも半藤一利にツッコまれていました。映画で大きく扱われるのは、零戦よりも前に二郎が手がけた九六式。
それに対して、零戦はラストのラストで数秒間の飛行シーンが出てくるのみです。十何機もが一気に飛んでくるシーンです。
該当のシーンをぜひ見返してほしいのですが、零戦の全体像が映っているカットはほとんどありません。この限られたシーンで印象に残るパーツが、コクピットを覆う風防です。絵コンテにはない、風防が並んで大きく映ったカットもあり、僕はそれを見て宮崎駿がなぜ風防にこだわるのか不思議に思っていました。
風防は父が取り扱っていた部品であり、宮崎駿の原体験
せっかく最後の最後に零戦を出すのなら、もっと全体像や、激しく飛び回る雄姿を見せたらどうなんだ。どうしてそんなに風防にこだわるのか。
その答えも、『腰ぬけ愛国談義』のなかに見つかります。
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ぼくが日本の軍用機でじっさいに見たことがあるのは、零戦の風防だけです。物置の土間に新品の風防が二つ置いてあるのを見ました。(中略)ぼくらは工場のちかくの家に住んでいたのですが、ぼくが見た零戦の風防は、きっと工場のなかに置く場所が足りなくなって置かれていたのでしょうね。
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※半藤一利・宮崎駿『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』文春ジブリ文庫
風防は父が取り扱っていた部品であり、宮崎駿の原体験でもあります。風防を描くというところに、意識的なのか無意識的なのかはわかりませんが、宮崎勝次・駿という親子の存在を思わされます。