結婚を考えた相手がいた
――美川さんはどのように幼少期や青年期を過ごしたのですか?
美川憲一(以下、同) 私には“生みの母”と、その姉の“育ての母”がいるんだけど、育ての母には「坊や」って呼ばれて一緒に銀ブラ(銀座をぶらつくこと)してたわね。
それで母は私に「これステキでしょう?」とか「これは舶来品なのよ」とか言っていろいろなものを見せつけてたわ。
――美川さんの美的センスはそこで培われたんですね。
そうかもしれないわね。それに(育ての)母は「男は男らしく、女は女らしく」が当たり前のあの時代に「自分らしく生きていいのよ」と言って育ててくれた。
私がオネエキャラとしてテレビに出始めた頃も「キレイだったわよ」とか言って、楽しんでテレビを見てくれてましたね。
――そのお母様は美川さんの恋愛に関して何かアドバイスをしたことは?
昔、付き合っていた一般の女性がいて、その人を母が気に入ってくれて、結婚しようと思ったことがあるんですよ。
――それはいつくらいのお話ですか?
『柳ケ瀬ブルース』(1966年)が出て、ヒット曲を立て続けに発売してるころだったかしら。まだ美少年で売ってたころよ(笑)。
でもやっぱりふたりの母を(私の稼ぎで)背負っているような状態だったし、その人は日本的なおしとやかな女性で(育ての)母とは正反対。私と母の間に入ってうまくやっていけるのかしらとか、いろいろ考えたらちょっと難しいかなって思って諦めちゃったの。
――結婚を考えたのはその女性だけだったんですか?
そうですね。噂くらいはマスコミから出ましたけど、心底結婚しようと思ったのはその人だけでした。
――オネエキャラが世間で認知されてからは女性からのアプローチが減ったのでは。
私がオネエを演じていると思ってる人が多かったみたいで、まあ間違ってないけど、それで「本当は女性が好きなんでしょう? 結婚してください」ってファンレターが来ますよ。今でも。