今回のゲストはLEE読者の皆様にはおなじみ、雑貨店オーナーの後藤由紀子さんです。後藤さんは、静岡県沼津市に器と雑貨のお店『hal』を2003年にオープン、今年で20周年を迎えます。節目となる今年、後藤さんにとって20冊目の著書『雑貨と私』(mille books)を出版しました。前半では後藤さんがお店をオープンするまでの半生と、『雑貨と私』へ込めた思い、20年を共にしたお店『hal』について語ってくれました。(この記事は全2回の1回目です)
『Olive』との出会いで人生観が一変
後藤さんは『hal』のある沼津生まれ。家族は会社員の父と母、姉・妹という三姉妹の次女として育ちました。学校では特に目立つタイプではなく、当時流行っていた“聖子ちゃんカット”をする、ごく普通の女の子だったそう。中学3年の時、雑誌『Olive』と出会い、人生観が変わります。
「友人宅で『Olive』を初めて読んだのですが、こんなに可愛い雑誌があるんだ!と、衝撃を受けました。その日の帰り本屋さんに寄って、財布の中にギリギリお金があることを確認しながら、買って帰った日のことは忘れません。自分だけの宝物を手にしたような気持ちでした」
毎月の発売日を楽しみに、『Olive』の世界にはまっていきます。自分が生きてきた世界の狭さを感じつつ、おしゃれな服、センスのあるパリの女の子の暮らし、テレビには出ないかっこいいパンクバンド……洗練された都会的な人や物に憧れを募らせていきます。「小田急線を使えば片道1200円くらいで東京に行けました。定期的に東京に遊びに行きつつ、いつか東京で暮らしたいと思いました」。
会社員を経て雑貨の世界へ飛び込む
親が厳しかったこともあり、“進学なら家から通える場所。東京に行くなら寮がある会社”という条件のもと、東京での就職を即決。寮のある会社に入社します。“石の上にも3年。最初に務めた会社で3年は働きなさい”という両親の言葉を守り、働きながらバンタンデザイン研究所の夜間コースに1年間通学。ファッションコーディネーター科、スタイリスト科に半年ずつ通います。3年後、雑貨屋に転職。1年ほど働いた後、当時よく通っていた大好きな雑貨店『ファーマーズテーブル』がスタッフを募集していると知り、応募します。
「当時は、同潤会青山アパートにお店がありました。(その後、原宿、恵比寿へと移転)。雑貨屋で1年ほど勤務経験はあったものの、採用が決まった時は、とても嬉しかったです。後日、別のスタッフから“8人くらい面接に来てたけど、(オーナーの石川)博子さんは、由紀ちゃんの面接の後、この子にしようかなと決めていたらしいよ”と聞きました。実は、今まで面接で一度も落ちたことがないんですよ。免許の仮免は何度も落ちましたけどね(笑)」
『ファーマーズテーブル』では、雑誌で見ていた憧れのスタイリストから問い合わせ電話を受けることもあり、「これが一番嬉しくて震えましたね! 原宿では、有名人やアイドルを見かけることもありましたが、それよりも感動でした」。同じ趣味を持つ友人が増え、誘われてライブやクラブに遊びに行くことも増えました。趣味も仕事も充実した日々を過ごしたものの、幸せな東京生活は意外なきっかけで終わりを迎えます 。
失恋を機に沼津に戻るも、運命の出会いが
「大失恋でした。好きな仕事も一切楽しめなくなって、立ち直れないくらい心がズタズタになり、今までの生活が輝きを失ってしまって。“東京では十分楽しんだ、青春はもう終わりでいい”と思い、沼津に戻ることを決めました」
実家に戻り、就職。その後、カフェで働き始めた時に現在の夫と出会います。カフェ店主の友人だった夫は、着ていたセーターのひじが薄くなっていて、中のシャツが少し透けて見えたと言います。その姿に、“芯があって、好きなものを丁寧に着ている人”と感じた後藤さん。彼が庭師と知り、「盆栽が好きな父と気が合いそう。運命の人に出会ったかもしれない」と思い、後藤さんから猛アタック。2年ほど交際した後、結婚します。
「今も昔も、芯のある人が好きです。原宿で働いていた頃、シーズンごとに服が変わる、トレンドの服に身を包んだ人をたくさん見てきました。一方、私の周りにいた音楽好きの仲間は、ずっと服のテイストが変わらないんです。パンクが好きな子は服もパンク、ヒップホップ好きはヒップホップのファッション。自分のスタイルがある人、こだわりがある人が好きでした」
大病を経験し「自分のために生きよう」と決意
結婚して2年後に長男、その2年後に長女を出産。幼少期から抱いていた「お母さんになりたい」という夢を実現し、育児と家事に忙しい日々を過ごします。しかしある日、猛烈な頭痛に襲われ、病院に駆け込みます。診断結果は髄膜炎、1ヶ月の入院を余儀なくされました。
当時、育児の合間にカフェ巡りを楽しんでいた後藤さんは、「子どもが12歳になったらお店をやりたい」と思っていました。しかし大病を経験したことで「明日は来るか分からない」と気づき、家族のための時間も大切ですが、自分のためにも生きようと決意します。
「私は家族のごはんを作ることを大切にしてきました。でもスーパーで1週間分の食材を用意していても、何かあれば明日は作れないかもしれない。病院でお医者さんに“容体が急変して脳炎になることもあるかも”と言われました。脳炎にはならず無事退院できたのですが、やりたいことはすぐにやらないと明日は来ないかもしれない、“人生は有限”を実感し、すぐにお店をやろうと決意しました。子どもがちょうど小学校に入学するタイミングだったので、学童保育に応募、まずは3年間と期限を決め、お店を始めようと思いました」
最初はカフェを考えていましたが、物件の様子や子どもがまだ小さいことを考え、雑貨屋から始めることに。2003年、後藤さんが34歳の時に『hal』をオープンします。庭師だった夫が作った木の看板が、味わいのある雰囲気でお客さんを出迎えます。