「友達の数ではなく、会話の数を増やしましょう」
──所属するのではなく、コミュニティに「接続」するとは?
例えば、漫画を描いている人やコスプレをしている人は、コミケ(コミックマーケット・世界最大の同人誌即売会)に行くことが多いのですが、コミケ自体は所属するコミュニティではなく、フルオープンなコミュニティです。
そこに行って、アニメ話で盛り上がる人たちはその瞬間に友達になりますが、ずっと友達である必要はないわけです。「鬼滅の刃」が好きな人同士がそこで初めて出会っても、何十年来の友達と同じぐらいに気が合う。その後飲みに行ったりしなくても、その瞬間に終わったとしても、それは「接続」したことになるんですよ。
それで、そういう関係性が延々と続いているってことを信じられるんだったら、ひとり暮らしをしてようが、家族がいなかろうが、誰もひとりぼっちじゃない。コミケに行けば、誰かに会えるっていうことなんです。
──例えば、再びコミケに行って知った顔がいないと、ちょっと寂しく思っちゃうこともあると思うのですが……。
それは、参加する回数が足りてないからです。知った顔はいなくてもまた新しい人に出会えます。で、そんなことをやってるうちに「あれ? 3年前に会いましたね」みたいな人に、もしかしたら会える可能性があります。
知り合いが必ずそこにいると思うということは、やっぱり所属するコミュニティに依存している人なんです。友達がいないってことにこだわる人は、所属するコミュニティの概念から抜け切れていないんです。
そうじゃなくて、そこに行けば、何かしら接続するコンセントがあるんだってことなんですよ。特定のコンセントじゃなきゃだめだっていう風に絞る意味はない。コンセントはどれだって電流が流れる。「友達の数ではなく、会話の数を増やしましょう」ということなのです。
──ひとりで生きるための「接続」ですが、続けるとどんなことが期待できますか?
その接続した回数ごとに自分の中に別の新しい自分が生まれているはずです。新しい自分っていうのは 、例えば、Aさんと出会い会話をすることによって、Aさんによって生まれた新しい自分っていうのが自分の内面に必ず現れるんです。
普通そんなことは意識しないんですが、そうやって、人との接続によって新しい自分が生まれる体験をくり返すと、地層のようにたくさんの自分が蓄積されていくわけです。接続数が100人、200人、300人となって来た時に、自分の中に同じ数だけの自分がいます。
状態としてひとりで生きていても、あなたはひとりじゃないってことが分かる。「接続」することによって自分の中に、多くの自分自身が充満してる。あなたの中は空っぽではないのです。