ミラクルひかるが巣立ち、再スタートしたジンセイプロ
ミラクルひかるとダンシング☆谷村が屋台骨となり、さらに新人スカウトやタレント育成もうまく運び、会社は再び軌道に乗り始めた。
「でも、やっぱり小さい事務所ですからね。『テレビタレントにシフトしたい』とミラクルが言い出したのは5、6年後のことです。彼女の願いを叶えられるように事務所を移籍させて、ジンセイプロは業務提携となりました。もちろん円満で、今でもものまね界の戦友としてお互いリスペクトしています」
「僕、研ぎ澄まされて、“売れる原石”がわかる瞬間があるんです。ミラクルのほかにもこんなこともありました。九州で仕事のあと、3次会で地元のパブに行ったらそこでカラオケが聴こえてきたんです。『いま歌ってたの誰?』と尋ねると、仕事終わりで来ていた女性数人組のなかで、いちばん地味なコでした。でもその一曲で売れる“絵”が浮かんで名刺を渡してスカウトしたら、最終的にものまね番組の決勝戦まですすめるものまねタレントになりました。
でも、そうやって何人も見つけて育てましたけれど、テレビに出始めたり営業で生活できるようになると、スタッフと独立していったり、取引先と直接に仕事のやりとりされたりしちゃうんですよ……。
宝の原石を見抜く目を持ちながらも、小さな事務所からは次々と人が離れていき……。
ものまねタレントとしてより、経営者としての悩みが深くなったダンシング☆谷村さん。
後編では「タイタンの学校」の生徒となった理由を聞いてみよう。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班