ミラクルひかる、売れっ子への道
「当時、彼女は24歳の美容師。カラオケで友達を笑わせる程度の素人ものまねで、いろんな事務所のオーディション受けては落ちまくっていました。実際に会うために呼んだら、顔はオバQみたいなメイクをしちゃってたし、パタパタとペンギンみたいに突進してくるしで驚きの連続だったんです。でも、カラオケで宇多田ヒカルを唄った瞬間に、『イケる! これで事務所を再建できる!』って確信しました」
「芸能事務所がタレントを育てるのって実は大変なんです。たとえば芸に使う衣装や道具を買い、スタジオを借りてメイキャップを頼んで宣伝写真を撮ることにもお金をかけます。もちろん芸の道筋もアドバイスして、タレントが食べていけるように仕事をとらなきゃならない。授業料をとれる養成スクールとは違い、僕の事務所はスカウトをしてきて売れるまで無料でそれをやる。
でも事務所の立て直しという命題があるから、売れてくれなきゃ困るわけです。
最初は宇多田、仲間由紀恵、オセロ中島の3人くらいしかレパートリーがなかった彼女には、『君はこれから売れて大変なコトになる。事情があって半年以内にメジャーにするから、これだけはわかってほしい。下積みのないままものまね番組に出だすと、慣れない環境のなかで新しいネタを作らなきゃいけなくなる。環境はサポートするから、とにかくネタ作りと練習に専念してくれ』と話して、週一回の定期ライブとその練習のために長時間使えるカラオケボックスを準備しました。
3か月後に、ミラクルひかるのお披露目と僕のものまねショーを兼ねた事務所ライブを開催して、そこから一気に巻き返しをはかったんです」
奇跡を起こして事務所を立て直す――そんな願いを込めて名付けた「ミラクルひかる」は見事に売れっ子になった。そして赤字になっていた会社は再び安定を取り戻したのだ。