「どん底の精神状態」から生まれた2代目ビジョン経営

お坊ちゃん社長の会の設立には、田澤氏自身の経験が深く関わっている。田澤氏は1975年生まれ。東京で不動産業を中心に複数事業を展開する家の次男として生まれた。家業に入ったのは29歳。一時は父への反発心から家を出て、大手電機メーカーで社内弁理士として勤務していたが、30歳を目前に家業を継ぐと決めた。

しかし、その後は苦悩の日々が続いた。「自分は何のために生きているんだろうとか、そんなことばかり考えていました」と田澤氏はつらい心境を振り返る。つまずいたきっかけは、父から命じられた配属先だった。中核事業の不動産会社ではなく、グループ会社のガソリンスタンドへの入社を指示されたのだ。

「ガソリンスタンドは従業員数が多かったので、後継ぎとしての足腰を鍛えたかったんでしょう。今なら父親の気持ちを理解できますが、ついこの間まで士業として勤務していたので、いきなり『ガソリンスタンドで働け』と言われたとき、頭と体がついてきませんでした。

当時は人間的にも未熟でしたし、プライドも高かった。だから、周囲にはずっと近寄り難い雰囲気を出していたのですが、内心では苦しくてしかたなかったです。毎日手足を縛られて、地べたに転がされているような感覚でした」

2代目はつらいよ! 全国から2代目社長が集う「お坊ちゃん社長の会」から知る後継者のビジョン経営とは_2

慣れない肉体労働、周囲からの好奇の眼差し、2代目としてのプレッシャー。心身は日に日にすり減っていく。わらにもすがる思いで経営者の自伝や自己啓発本を読み漁ったが、救いの言葉は見当たらない。

そして入社から7年目、M&Aでグループ傘下に収めた自動車修理工場の経営を担ってからは、資金繰りの苦しさも加わって精神状態はどん底に達した。毎月25日が近づくたびに原因不明の吐き気や腹痛が襲ってきた。しかし、絶望の淵で田澤氏はある意識の変化を迎えたという。

「一言でいえば、開き直れたんだと思います。自分の人生は自分で責任を持つしかないと腹の底から理解した。いたって単純な話なんですが、苦しい思いをするうちに、父親に強制されて家業を継いだ気になっていたんです。でも、立ち止まって振り返ると、家業に入ったのは自分の意思だったよね、と。それならば、自分の道は自分で作らなければいけないと、初めてわかったんです」

その後、田澤氏は複数の新規事業に取り組むとともに、自社の新たなビジョン策定に着手した。父から受け継ぐべきものは何か、自分は何がしたいのか、自社が社会に提供できる価値は何か。これまで目を伏せてきたことに正面から向き合い、今後の指針となる言葉を模索した。

その末に生まれたのが「メンテナンスで”ときめき”を」というビジョン。ガソリンスタンドや自動車修理工場などでの「メンテナンス」を通じて、社会に「ときめき」を与えるのが、自社の役割だと思い至ったという。

この一連の取り組みがお坊ちゃん社長の活動の原型になった。2代目社長はどうすれば初代社長の意思を引き継ぎつつ、自分なりの経営スタイルを確立できるのか。「2代目ビジョン経営」は、10年以上の長い苦悩を経て、絶望の末に田澤氏がたどり着いた一つ結論だった。