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子供の頃からつきまとう
「両親のために生きている感覚」

全国から家業を継いだ2代目社長が集い、それぞれの生い立ちや悩みを語り合いながら、自分なりの経営ビジョンを見出していく「一般社団法人2代目お坊ちゃん社長の会」(以下、お坊ちゃん社長の会)。その代表理事である京南グループ代表の田澤孝雄氏は、初代社長である父との関係や周囲からのプレッシャーで苦しんだ経験をもとに、2代目社長のコミュニティを発足した。

「親が社長」。
そんな人を一度は羨んだことがあるかもしれない。裕福な家庭、潤沢なおこづかい、豊富な人脈。「自分だって実家が太ければ!」と、やりきれない思いを抱える人も多いだろう。しかし、田澤氏の生い立ちからは、お坊ちゃんの"影の側面”がうかがえる。

「僕は『孝雄』という名前なんですが、子供の頃から『親孝行する男の子になるんでしょうね』と言われて育ちました。それがとてもつらかった。『自分は親のために生きているのか?』という疑念が鬱積していくんです。だからこそ、親や同級生に自分の実力を認めさせようという気持ちが人一倍強かったと思います」(田澤氏。以下略)

田澤氏は4人兄弟の次男として生まれた。父は不動産業を営む経営者。家庭は裕福で、幼少期の田澤氏にとっての「お買い物」とは、百貨店の外商サロンを訪れることだった。両親に手を引かれ豪華なソファに座り、販売員にうやうやしく「お坊ちゃん、このお靴はいかがでしょう」とかしずかれたことを、今でも覚えている。

実家が太いからって人生甘くない。2代目お坊ちゃん社長がかつて苦悩した「絶対的な父親」との関係_1
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そんな田澤氏を同級生たちは妬んだ。「いじめられたわけではなかったけど、イジられはしましたね」。はやし立てる同級生を見返そうと勉強やスポーツに情熱を注いだ。だから、子供の頃からスポーツ万能で成績優秀の優等生だった。

その姿を見て両親は喜んだが、どれだけ頑張っても「両親のために頑張っている」という感覚は拭えなかった。

「人造人間みたいでした。自分の意思はどこにあるんだろう。主体的に生きている実感はあまりなかったかもしれません」