30周年のJリーグ開幕! 連覇を目指す横浜F・マリノスは、時代をけん引するクラブになれるのか?_1
2月11日、国立競技場。シーズン開幕をつげる富士フイルムスーパーカップ。6度目の挑戦で初めてスーパー杯を制した横浜F・マリノス。素晴らしいシーズンスタートとなった。(写真/産経新聞社)
すべての画像を見る

30年で一度も降格のないクラブはアントラーズとマリノスだけ

1993年5月15日、Jリーグは華々しく開幕した。

JFL時代の黄金カード、読売クラブと日産自動車サッカー部をともに母体とするヴェルディ川崎と横浜マリノスの一戦には全国から80万通の応募があったという。国立競技場は6万人の大観衆をのみ込み、チアホーンが高らかに鳴り響いた。それはまるでスポーツ新時代到来を祝うようでもあった。

あれから丸30年。クラブ創設30周年の節目となる2022シーズンにおいて、3年ぶり5度目のJ1制覇を果たしたのが横浜F・マリノスであった。アタッキングフットボールの名のもと攻守に圧倒して、 2連覇中だった川崎フロンターレの猛追を振り切っている。Jリーグを代表するトップクラブという立ち位置は、30年前と変わっていない。10クラブでスタートしたJリーグ30年の歴史で、J2に降格していない“オリジナル10”のクラブは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスだけである。

先日、横浜F・マリノスの30年の足跡を、当事者目線でつづったノンフィクション本『我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語』を上梓した。1972年の日産自動車サッカー部誕生から50年、1992年のマリノス創設30年というタイミングで、部を立ち上げた初代監督の安達二郎を皮切りに、監督、選手、スタッフら30人以上にインタビューし、印象的な出来事を中心にして一人ひとりの物語をつむぐとともに、クラブの歴史を深掘りして点を線につなげることを試みたものだ。

クラブには紆余曲折があったのだとあらためて認識させられる。 

日産自動車サッカー部による革新、横浜フリューゲルスとの合併、マリノスタウンの建設と移転、リーマン・ショックに端を発した経営危機、マンチェスター・シティを筆頭に世界でサッカー事業を展開するCFG(シティ・フットボール・グループ)との提携……岡田武史監督時代の2003、04年リーグ2連覇から次の優勝まで15年の月日を費やし、2010年には松田直樹、山瀬功治、坂田大輔ら長年プレーしてきた選手を〝大量解雇〟に踏み切って、サポーターの大反発を食らったこともあった。

痛みを伴いながら、迷いながら、もがきながら、このクラブは前に進もうとしてきた。堅守のF・マリノスからアンジェ・ポステコグルー監督(2018シーズン就任)がもたらしたアタッキングフットボールにシフトチェンジした。攻撃サッカーを謳った日産自動車サッカー部時代の伝統とも重なってクラブのスタイルとして確立していった。

監督が代わっても、主力選手が抜けてもスタイルを変えない。

フットボールフィロソフィーをクラブで完成させ、2021シーズン途中に就任したケビン・マスカット監督になってもスタイルを継続して優勝にたどり着いたことで、進むべき航路の視界がはっきりとした。
クラブハウスを持たない日々にもようやく終止符を打ち、今年1月、横須賀市久里浜に新拠点「F・Marinos Sports Park ~Tricolore Base Kurihama~」をオープンさせている。創設から30年かけてやっと本当の意味で足場を固めつつあると言っていい。