施術は6時間、ダウンタイムは5カ月、完治まで5年、後遺症。骨切り整形から4年を経た有村藍里がリアルに伝えたいこと【DT画像あり】_1
すべての画像を見る

バラエティでの自虐は決して嫌ではなかった

――有村さんは4年前、2018年の秋に輪郭矯正の骨切り手術(ルフォー+BSSO)を行ないました。きっかけはなんだったのでしょう?

当時出演したバラエティ番組で、自分の口元を“残念”と指摘されることが多かったんです。

それで、「何かできないかな」と悩んでいたときに、知人から「そんなに悩んでいるんだったら、こういう手術があるんだよ」と教えてもらって、美容整形をしようと決めました。

――テレビで容姿についていじられて、傷ついたということでしょうか?

いえ。自分で自分の容姿を自虐することは多くありましたし、みんなが笑ってくれるなら、それでいいかなって。嫌でやっていたわけではなかったですね。

当時は自分の売りがわからなかったし、技量もトーク力も特技もない中で、どうにか番組に呼んでいただけたことへの“期待に応えたい”と思っていて。妹(有村架純)のこととか、自分の容姿のことを言えばおもしろいのかなと。“言わされている”わけでもなく。自分なりに楽しくやっていましたね。

――では、なぜ整形手術を受けようと思ったのでしょう?

整形手術を受けようと思ったのは、自分の顔を好きになることができる“最後の望み”なら、それにかけたいなって。

自分の容姿を自虐して生きていくよりも、純粋に“かわいくなりたい”という気持ちの方が強かったんです。このまま老いていくのなら、変わるチャンスの糸口を掴みたかった。

施術は6時間、ダウンタイムは5カ月、完治まで5年、後遺症。骨切り整形から4年を経た有村藍里がリアルに伝えたいこと【DT画像あり】_2
整形手術以前から親交があるライターの瑞姫氏と当時を振り返る有村藍里さん

――整形をすると決めて、最初に話したのは誰でしたか?

友達だったかと。どんな反応だったかは、正直あまり覚えていないんですけど、驚いたり引き留めたりする人はいませんでしたね。正直、どういう手術かピンときていなかっただけかもしれません。

――家族にも事前に話しましたか?


母には、手術する前ギリギリのタイミングで「この日にやるから」「もう決めたから」って言いました。妹には手術が終わった後、年末年始に家族で会ったときに伝えたかな……。

――手術すると決めてからは、迷いもなく?

怖さよりも“変われるかもしれない”という期待の方が強かったので、すごく楽しみでしたね。でも、手術前に急に怖くなったのは覚えています。手術着に着替えて、手術台に乗ったときに急に涙が止まらなくなって……。

――怖いですよね。

「やっぱり、やめます!」と言えば、やめられたんでしょうけど「もうやるしかない!」って割り切ったのを覚えています。そんなことを頭の中で考えているうちに、意識がなくなって、次に起きた時は手術が終わった後のベッドの上でした。

施術は6時間、ダウンタイムは5カ月、完治まで5年、後遺症。骨切り整形から4年を経た有村藍里がリアルに伝えたいこと【DT画像あり】_3